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芸術家の生活に非難されるべき行為があった場合に、それが特に看過できなくなるのは、
・社会的に咎められるその行為が、当人の職業活動に直結している場合や、
・芸術家の社会的影響の大きさにより、被害が無視/軽視/隠蔽されてしまいかねない場合、
になるかなあ。
 もっと直接的に、モデルとなった人物に対する搾取によって芸術作品が成り立っているというシチュエーションを取り上げた物語もある(画像)。
 芸術家とは異なるけど、差別発言をした東京大の某氏が懲戒解雇されたのも、同様の理屈だろう。あれはおそらくほとんどの人が解雇に賛同しただろう(※あの解雇を「不当なキャンセルだ」と主張する人は事実上皆無だったと思う)。

渡部ペコ『恋じゃねえから(3)』(講談社、2023年)の書影。
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HELL BLAZE君だとシール/デカールでゴテゴテにするのも一興ですが、ブライドさんは清らかなパール塗装でシンプルにまとめるのが良さそう。

エクスキュートしたりブライドしたりする前のお姿、KOTOBUKIYA「Launcher Hell Blaze」。
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本文中で言及されている"Japan, living in the year 2000 since 1985."は、なかなか痛い皮肉だ。日本は1985年の時点ではまるで2000年のように先進的だったが、それ以来まったく進歩が無く、今では2000年水準のままの遅れた社会だ、というのは、うん、まあ、残念ながら否定しがたい。

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(続)「米国人は特定の一つの焦点を取り上げるのに対して、日本人や中国人は情報を全体的に(holistically)捉えるという研究がある」とのことで、うーん、そういうものなのかしらん。
 いずれにせよ、雑誌の表紙から映画ポスター、動画サムネイルまで日本語コンテンツの多くが乱雑に情報過多である(ように見える)事情について、ひとまず説得力のある展望かと思う。つまり、言語的要因、技術的要因、文化的要因の3層がそれぞれに影響を及ぼしているということになる。

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日本のwebサイトデザインの特異性について。>BT
要旨は:
1) 日本語環境では、ラテン文字と異なる文字種類(glyph)の多さにより、フォントデザインをコントロールするハードルが高い。
2) 「失われた数十年(Lost Decades)」の技術的停滞。組織活動におけるデジタルリテラシーの欠如。
3) 文化的要因としては、リスク回避、慎重な再確認、拙速な判断に対する躊躇。これらのため、webサイトや動画サムネイルで大量の情報が提供されるのは、判断の手掛かりが多いとして歓迎される。