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ヒンデミット大好き!
最近はBlomstedtのセット(90年代の録音)で聴くことが増えたけど、Kegel指揮のディスクもよく聴いていました。

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個人レベルの話としては、高温でフィギュアが変形しかねないのが怖い。
 PVCが本格的に熱変形しはじめるのは60度くらいからだが、そこまで行かずとも変形やダメージは生じうるようなので。フィギュアは下手に放置すると、いつの間にかお辞儀したりのけぞったりするのよ……。

メガハウス「鏑木・T・虎徹」。
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ここ数日、自宅でずっとデスクワークをしていたが、たいへん気の進まない作業だったので気散じのためにしばしばLTLを拝見していたら、これがたいへん面白くてついつい腰を落ち着けてしまいそうに……。
 とはいえ、そろそろ行動を切り替えて身を潜めていくかも。

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暑い暑いと言うけれど、問題解決そのものが語られないままでは、結局状況は改善しようが無い。
 日本でも政府/立法レベルでの温暖化対策(とりわけ温室効果ガス対策)は、まあ、あるにはあるけれど、あまりに遅々としているし、政策的な情報や運動も市民に伝わってこないよね……。人々の生活環境そのものの問題なので、まさしく公的に取り組まれるべき問題なのに。
 cf. env.go.jp/earth/ondanka/domest

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地球温暖化対策推進法と地球温暖化対策計画
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自分が投票参加したアンケートが終了したら、通知が来るのか。
全体としての投票結果を見逃さずに済むので、これは親切な機能。

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海外は、カバーの無いペーパーバックが多いみたいですね。
日本の漫画だと、ペーパーバック形式はコンビニ漫画と同人誌くらい?

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昔の学校は「男子は全員丸刈り」だったようだけど、80年代後半から男子頭髪の自由化がかなり進んで、さらに90年代にはサッカー人気(Jリーグ発足)あたりをきっかけに学校スポーツでも髪を伸ばすようになった……という感じなのかな。女子は女子で、近年までいろいろあるけど。

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丸刈りも、もちろん自由なヘアスタイルの一つではあるけれど、未成年スポーツ組織の丸刈り強制は、社会的な意味づけとしてはどうしても管理教育の遺物に見える。

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街中で坊主頭の学生を見かけたときは、びっくりしたなあ。
 野球部とおぼしき中学生だったけど、「今どき坊主頭のスポーツ学生がいるんだ」というのにも衝撃を受けたし、そして、「都市部で坊主頭の未成年に遭遇して衝撃を受けるほど、現代日本では丸刈りは珍しいものになっているのだ」という事実にも驚いた。

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トルコ語やポルトガル語やアラビア語等々も見かけて、たいへん国際色豊かなのが眺めていて楽しい。

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ドイツ語の投稿は、分かる単語を拾ってつないで、なんとなく趣旨が分かるという程度。
理解度で言うと、英語をリスニングするのと大差ないくらいの低水準。

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LTLにノルウェー語(※たぶん)の投稿が出てくると、さすが北欧のサーバーという気分になれて嬉しい。

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願望として、猫を飼ってkawaii猫写真を毎日TLに流したりもしてみたいけど、自宅はすでに書籍やCDや模型等でいっぱいで、さすがにこんな環境に猫様をご招待することはできず、断念している。

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確かに、大量の異論暴論をも包含するような空間にも、大きな価値はある。その側面まで否定するものではない。
 しかし、そういうタフな場に慣れることのできる人は、たぶんごく少数だ。大多数の人は、そういう場に居続けることで、多大なストレスに晒される。ましてや、プラットフォーム側が競争や争論をけしかけてくるような場は良くないし、それに対して過剰な争いや消耗を抑制するような仕組みを求めるのは、人々の精神的健康と尊厳のために正当な要求だろう。

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SNSでも、「フォローという形で個別に信頼のサインを出しつつ、LTLでは緩く話題を共有する(=嫌なものは無視しても構わない)」というのは、わりとバランスの取れた形だと思う。ただし、TLの流速によっては見逃しや話題前後などの多大な非効率が生じるから、けっして最善とも言いがたいけど。

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「快適で過ごしやすい場」と、「異なった意見に触れられて刺激になること」は、なかなか両立が難しいよね……。「自分にとって快適さを損なわない程度の異論だけが欲しい。ぬるま湯も嫌だがKUSOリプも嫌だ」というのは贅沢な要求になってしまう。結局、身内で仲良く固まるか、玉石混淆のカオスかのどちらかに振り切れてしまいやすい。
 入ってくる異論を一定程度スクリーニングできるとか、攻撃的にならない議論のルールが決まっているといった安全なフレームワークが出来ていればよいのだけど……。参加資格そのものをスクリーニングするのは、一見合理的だが偏りやすくて危険だろう。
 きちんとした専門家どうしの研究会ならば、様々な意見を出し合って知見を深めることが大前提であり、なおかつ、異論も傾聴に値するものばかりだが、これは特殊事例であって一般化できない。