メインはダブルクロスとサイフィク(特にシノビガミ)、他も色々やるタイプの民です。
設定は金槌でぶっ叩いても壊れないようにガチガチに固めて、その固い設定を足場にして当日自由に動かす感じですね……設定が固まってるからこそ、ぶれずに、悩まずに動ける、という。
ただ、このやり方はだいぶ向き不向きがあるみたいだな……というのは感じています(あまり同士を見かけない)。
フォーチュンは終盤「もう玉砕でいいからさー、せめて気付いてやってくれよー! 気付いて即フるでいいからさー!! もう見てられないんだよー!!!」となっていた印象ばかりが強く残ってしまった(最終巻読んだあと一人で酒盛りしました)。
……インセインよりシノビガミの方が『最初から死んでた』枠を多く経験している……不思議……。
というかいま気がついたんですけど、『実は死んでいる』という秘密が存在するシナリオで、生きてる側のHOになったことがない気がする……(真顔)。
シナリオ改編話、セッションの展開に合わせたアドリブと、セッションを始める前からGMが加えているアレンジの二つは切り分けないと危険、という印象。
前者を禁止されるのはちょっと無理があるけど、後者は嫌な人は嫌ですよね。
『回す』は、『物事を滞りなく進行させる』という用法での回すだと思っているので、進行役のGMが「回す」というのには違和感がない。
この場合回るもの(進行する物事)は『シナリオ』なので、PLが「(自分が)回る」と表現していると違和感を覚える……という個人的理解をしています。