あ、server の更新しなきゃ
OSv 触ってるとリソース管理のデータ構造増やさなきゃ……ってときにも気軽に std::map とか std::vector を kernel の中にブチ込めて便利
Salesforce - Salesforce Signs Definitive Agreement to Acquire Slack https://investor.salesforce.com/press-releases/press-release-details/2020/Salesforce-Signs-Definitive-Agreement-to-Acquire-Slack/default.aspx
富士そば、別の店で従業員働かせ休業扱い 助成金を申請:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASND156J7NCVUUPI005.html
残高に年利1%の利息提供 新たな形の銀行目指すKyash - ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2012/01/news081.html
ズームなりオートフォーカスなりでウィンウィン言うのはどちらかというとレンズですが、新しくてン十万もするやつだと静かかつ高速にスーッと動いてすぐ合焦する。
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まあ言うていわゆる関数型言語のイディオムわ知っておくと近年のマルチパラダイム言語では確実に活かす場面があるので、常用しないからといって感動だけで終わったともいえないところはある
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「ゆるキャン△」で家キャンプ 東山奈央、花守ゆみりがフルボイス出演 - ライブドアニュース https://news.livedoor.com/article/detail/19309464/
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OCaml の講義と OCaml で Prolog 処理系を作る演習があったのがもっとも印象に残ってるな
少なくとも日本の大学院は講義重視ではなくてどちらかというと研究を通じたアクティヴラーニング的なやつだと思うので計算の意味論とかは学部の講義のどこかにはなると思うけど、そういうのぜんぜんやらないとこはやらないしなんともだ
これ脳内がどうとか言ってなくて Lazy K だと入出力の同期の機構がないことに留意せよ、としか言ってない気がする(Haskell の IO Monad は純粋函数型的に IO の順序が記述出来る重たい仕組みなので実装とか大変だけど IO の ordering は保証できる
翻訳:プログラミング言語Lazy_K
http://legacy.e.tir.jp/wiliki?%CB%DD%CC%F5%3A%A5%D7%A5%ED%A5%B0%A5%E9%A5%DF%A5%F3%A5%B0%B8%C0%B8%ECLazy_K
たとえば副作用を認めない “純粋関数型言語” である Lazy K のドキュメントでは「インタラクティブなプログラムには気をつけてね」という例があって、結局これは「オメーの脳内状態(認識)がプログラムにとって暗黙である」という話
まあそこまでプラグマティックに考えると計算機の計算モデルとか色々否定するような気もするのでそれはそれこれはこれでいいんじゃない?と思ってます。なにをどうモデリングしても実際は無限の紙テープなんかないしレジスタマシンで動いてるわけだけど、それでもモデルとして抽象化することで得られる考えや気付きもあるわけじゃん?という
さんすうだと 2 times 2 だけど、by two (ふたつづつ)を two につけて、2 をふたつづつ、つまり 2 × 2 なので……
そういえば 4x4 みたいなのを four by four のように読むのは一般的な習慣なのかしら
あそこらへん学際的というか、数理的・科学的なものと工学的・実際的なものの鬩ぎ合いだと思うので、やってるひとたち良くやるわという気持ち。
オブジェクト指向プログラミングは数学的ではないけれどソフトウェア工学的なモデリングがあって Dr. Alan Kay の独創などがあっただろうけれど、それはそれとして形式的な記述や抽象化の研究も後に生まれてたりとか。
それはそれとして Haskell なんかは記述が宣言的かどうかという以外に先に数学的なモデリングや抽象の実践と実証という目的があってそれで妥協せず Monad のような道具まで作り出したんだろうし、逆に C は単に当時の計算機を操作するためだけに工学的な実践の要請で生まれたのだろうから「手続的」というのに当時はとくに数学的モデルは無かっただろうし
函数型かどうかって言語などに紐付くというよりは、計算の記述として宣言的<->手続的に書くかの話で、宣言的に書けば函数型寄りですね、みたいな
Unity.cginc というファイル名から察せられるようにあれは昔は Cg だったっぽいけど今は HLSL って書いてあるんだよなドキュメントに
OCaml なんかは () 型(unit 型)返す函数で副作用は許容しちゃってるし、「函数型」だからといってべつに必ずしも純粋であることは要請されないし、なんなら C 言語でも頑張って函数型っぽく実装できなくもないわけで、まあ程度の話かなあ
実際 IO Monad の実装でも State# RealWorld という実世界の状態を表す値を中に Monad に包んで引き回してバケツリレーさせてるし
誤魔化しとは言ってもそこを純粋だと言い切るために色々な道具立てやモナド則とか圏論の言葉でモデリングして頑張った、んじゃない?
Monad のような誤魔化しなしでは副作用が書けないから、そういう意味でプログラミングに必須なはずの I/O とかは純粋な世界では書けない、というのは間違いではない
@cmplstofB 単に framework として見たときは、副作用のある操作が型で明示されるし、Monad の函数のチェーンと純粋な函数の部分がはっきり分離できる(というか分離が強制される)から便利、という認識。
@cmplstofB (実装でそのようになっているかはともかく)、IO Monad を返り値にしておいて、副作用として作用する対象の世界(IO ならターミナルとか)そのものを返り値にしてしまえば、副作用ではなくただの作用になるし、副作用のある関数を連続で実行するのと同様の操作についても、Monad で包んで返した環境を受け取って操作をして Monad で包んで返す、という建付けにしておくと、参照透過なままで居られる気持ち
@cmplstofB 私もべつに函数型は詳しくもないし未だにちゃんと書ける気はしないけれど、Haskell における Monad は圏論との絡みや抽象的定義は一度置いておいて、実用的には、たとえば文字出力だと常に unit 型とか返しておけば参照透過性は担保できるけど副作用が前提になるからよろしくないのを、Monad に包んでしまって解決するという認識
最近 blogspot の私の記事はもう内蔵のエディット画面開いても HTML モードで HTML 手書きしちゃってるので、あまりにもアレ
blogspot の機能でバックアップ取ると、ペライチの xml 吐いてくれちゃうのでそこからどうこうする気力がなかなか無かった
べつに何が悪いというわけではないが blogspot の WYSIWYG エディタが作る HTML は div だらけであんまり好きではないし、そもそも技術メモ置き場として使っているのでそのメモが独立した plain text であったほうが私にとって都合が良いので何年も前から引き上げたいとは思ってたけどずるずる放置してたので、blog2md とかでサクッと変換できることを知ってようやくやる気が出てきた