パンチのある文章だ
Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。 | Books&Apps https://blog.tinect.jp/?p=68143
パンチのある文章だ
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「成功した人生の定義が、非常に狭いものになってしまうのです。大部分の西欧の豊かな国においては、大学に行き、高等教育を受け、「知的な」仕事に就くことがよいこととされています。さらに言うと、この安定した領域にたどり着くための梯子は1つしかありません」
デイヴィッド・グッドハート「社会が分断されたのは能力主義によってエリートが増えすぎたからだ」 | クーリエ・ジャポン https://courrier.jp/news/archives/224624/
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pesta/fasta ――「~の後方=以前/前方=以後の、に」(1) - ユエスレオネ連邦の言語文化誌 ~単語と文化から見る連邦社会~(Fafs F. Sashimi) - カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354055007436999/episodes/1177354055070305962
「瀬戸賢一『時間の言語学』(ちくま新書)では、人間は時間を直接扱うことが出来ないために何かに例えるとする」「私たちは自然的な態度では時間の流れる方向を過去から未来だと見做しているが、実際には過去から未来へと進むのは『動く自己』である我々であり、『動く時間』自体は未来から過去に流れていくという」
『時間の言語学 ─メタファーから読みとく』 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069504/ 、読みたくなってきた。
新書で448ページ!
「天皇に殉ずる「臣民」を育てた教育勅語と国定教科書。その反省から生まれた戦後の教育制度と教科書は、時の権力によって度重なる攻撃にさらされてきた。検定制度を世に問うた「家永教科書裁判」から教育基本法、道徳教科化、学習指導要領、採択問題まで、教育と教科書に真実を求めた運動の軌跡をたどる。」
戦後教科書運動史 - 平凡社 https://www.heibonsha.co.jp/smp/book/b547762.html
紙のチェックリストの事項の頭に「ア」って書いてあって「ついに頭おかしくなったか?」と思ったが「(終)了」の意味だったね…
そんなことがあるのか
「日本の中世絵画が専門で東京大学大学院人文社会系研究科の高岸輝准教授は、今回の肖像画には手本となる別の絵が存在し、その絵を写す際にひげの色の情報が失われて黒く描いたという、別の可能性も指摘。「もととなる絵を写したときに、ひげが黒かったのか、白かったのか、そういう情報が失われたとすれば、白いひげが黒に変換される可能性もあります。顔の様子も、何度も何度も転写をしていくとシワのような細かい情報が消えて表面がつるっとして若く見える。そういう可能性も考えられます」と話しています。」
“新しい足利義満像” 示す新たな肖像画 発見 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201222/k10012776841000.html
本を写す時に誤写するというのは想像に難くないが,絵を写すときに色の情報が失われるというのはどういうことだろう.手本を常時参照しながら,というのではなく一度見ただけで記憶で描くとかなら分からなくもないが.美術品の複製・転写の消息は盲点であまり考えたことがなかったから何か良い参考書がほしい.
「一言でいえば,標準スペリングというものがなかったということである.当時は規範となる辞書もなければ,スペリング・マスターのような人物もいない.写字生 ( scribe ) と呼ばれる書き手の各々が,およそ自分の発音に即して綴り字をあてたのである.例えば,イングランド北部・南部の出身の写字生では,方言がまるで違うわけであり,発音も相当異なったろう.そこで,同じ単語でもかなり異なった綴り字が用いられたはずである.さらには,同じ写字生でも,一つの単語が,数行後に異なるスペリングで書かれるということも珍しいことではない.スペリングがきちんと定まっている現代英語から見ると,信じがたい状況である.」
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2009-06-20-1.html
たまに自分でテキストを筆写してみて,どういう場面で間違いやすいのか追体験して見るのも意外と大事なのかもしれないと思った.
外国語を勉強しはじめのときは,テキストをノートにまず書き写して,それから辞書を引き解読していくのだけれども,書き写している時点では意味が分かっていないから,同じ行や一行下の別の単語に目が滑って脱落が発生するということが頻発し,実際にそういう誤写が起きるということが身をもって確認できる(?)
たしか「手本を見ながら写す」だけでなく「誰かが朗読するのを聞きながら写す」というのも行われていたはず(こうすると手本が1部しかなくても同時に複数の写しを作れる)
間違い方がネイティブと非ネイティブで違うという話もあるよね
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2019-12-20-1.html
間違いは機械的に発生するのではなく,人間が生ぜしめるものである限りにおいて,何らかの心理的な動きを伴うものだから,「写字生が何に困難を感じていたか」を十分に想定することが大事になってくる(cf. https://gnosia.info/@ncrt035/100042531021567416 )
意味を分からずに写している人はナンセンスな筆写結果を生むだろうし,逆に頭を働かせて写しているからこそ,難しい個所を「善意で」簡単に修正して写してしまう人もありうる.
この手の「言い間違い」や「記憶違い」が発生するメカニズムについてはフロイト『日常生活の精神病理学』とそれを引きながら議論を展開するティンパナーロの著作がおもしろい
https://gnosia.info/@ncrt035/99868476355381745
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昔もらいものの奈良漬けを大量に消費するために稲荷寿司を作った(細かく切った奈良漬けと大葉,胡麻を酢飯に混ぜて作る).