これできるっぽいです。
こちらはBridgy Fedという、ActivityPubやBluesky、IndieWebなどのブリッジサービスを利用した相互接続の様子です。
Bridgy Fed
https://fed.brid.gy/docs
Threadsが(制限がありながらも)ネイティブにActivityPubを実装しているのに対し、ブリッジは異なる実装間を代理接続する形でつなぎます。
Mastodonから見えるアカウントは、Bridgy Fedのサービス上に作られた代理のアカウントです。Bot扱いになっていますね。
フォローしておくと、接続してあるBlueskyのアカウントの新着投稿を代わりに流してくれます。お気に入りも代わりに伝えてくれます。
Blueskyから見えるアカウントも、Bridgy Fedのサービス上に作られた代理のアカウントです。
アカウントのフォローは事前に許可しておいたり、DMでリクエストを許可するようになっているそうです。
なお、X (formerly Twitter)のアカウントをActivityPubにコピーしてくるサービスもあるにはありますが、これはできるだけ使わない方が良いです。
X側が相互接続を認めていないのを無理矢理つないでいるため、ただの無許可コピーになってしまっています。
QT: https://fedibird.com/@noellabo/112374571388595625 [参照]
https://fedibird.com/@noellabo/112375423255663062
そういえば、この「X (formerly Twitter)のアカウントをActivityPubにコピーしてくるサービス」とやら、たぶん今はまともに動作してないよね?
うーん、色んな意味で、Twitterだけをそんなに特別視する必要も無いっちゃ無いんですよね。Mastodonから見れば、個人サイトとかはてなブログとかと同じで、単なるひとつのWebページ。
@oq あと、最近のXの凍結基準がさっぱり理解できないので、うっかり凍結されるとまためんどくせーなーという気持ちもあります。
@oq
あの、まず重要な前提を端折ってたんですが、Twitterアカウント無しでTwitterを閲覧する手段を使ってまして、それで引用するにあたって今たまたますぐに使えるアカウントがここだったのでここが選ばれたという次第です。「わざわざ」こっちを選んだ訳では無いです。
その上で、現状Xアカウントを作ってないのは「そのためだけにXアカウント用意するのもなー」( https://mastodon.cloud/@meandherv2/112388824424072401 )というだけのしょうもない理由なので、ここは作るのが素直でしょうね……。
リポストはちょっとMastodonの機能では代替不可かな?全文転載すると、引用と主張するのは厳しいだろうし。
Xが嫌でFediverseに退避してきた人にXをお見せするのもアレだし、リアクションしたことがポスト主に知られないというのも捻くれた見方をすれば「隠してる」みたいな感じ。
でも、インターネット一般ではリアクションされても通知が行かないのが普通(アクセス解析とかで突き止めることはできるかも)だし、著作権侵害にならない範囲ならどこで何にコメントしようが勝手だろう。
XのポストにはXでリアクションした方が良いのかなーと思いつつ、そのためだけにXアカウント用意するのもなーという気も。
他人に話しかけるときはなるべく敬体にしようと思ってるのだが、常体の投稿に返信するときはどうも釣られて常体にしてしまうなー。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
https://misskey.io/notes/9s4etjiuqgsa0h3j
マルチ商法みたいなのに騙されないために大事なのは、基礎的な科学リテラシーや批判的態度であって、それらは正直大人になる前の方が身に着けやすいと思う。主に環境面の理由で。
また、騙そうとする人は成人した瞬間から容赦なく襲いかかってくるから、そういう意味でも早めに身につけるべき。
それはそれとして、「勉強は大人になってからでも大切」には同意。特に、教科書読むだけの勉強なら大人でも環境面のディスアドバンテージは比較的少ないと思う。能力の低下や仕事による自由時間の減少は無視できないが、しょうがない。
https://mastodon.cloud/@meandherv2/112388604780261922
「条件が変わっても対処できるようにするのが『プロジェクトマネジメント』でしょ!?」という意見もあるだろうが、限度というものはあるよね。
成果を最大化しようとし過ぎると不測の事態への対処力は犠牲になりがちだから、その部分は承服して欲しい。
@moriyaki 実際、先延ばし癖否定過激派はそういうこと言うよね。それはそれでどうなの。という気分。
まあ、(タスクをこなす側が)それを個人のポリシーとして持ってて、結果的に全てのタスクが適切に処理されるなら別に良いけど……。
ミーは同期的コミュ自体の重要性は否定しない。個人的には嫌いだし、なるべく避けたいけど、必要に感じる状況はそりゃある。
また、その重要性の高さは諸条件によって大きく変わる。
この「緊急性の低いタスクでも、認識した以上はなるべく早く済ませたい。気にしなくて良いといわれても気になる」の部分が我儘というか、依頼主や同僚からしたら知ったこっちゃないという気分。
「例え通知が来なかったとしても、メールが来る可能性を考慮しなきゃいけない事自体が嫌」は結構漠然とした感覚。
この背後には「緊急性の低いタスクでも、認識した以上はなるべく早く済ませたい。気にしなくて良いといわれても気になる」というのがまずあって、「そんなタスクが夜中に発生するかもしれないという不確定性が不快感を生む」「通知をオンにすれば不確定性は緩和されるが、実際に発生したとき対処する必要が出てくるからもっと不快だ」「だから、通知を切りはするが結局不快」「一応選択の余地があるという点が余計不快」という感じ。
郵便ポストの場合は言わば「通知を切る」一択だからもやもやは少ない。(ちょっと暴論か?)
@omasanori
さらにその風潮を強化する一要素として、最初のポストで述べた
(同期的コミュニケーションでの有用性)/(非同期コミュでの有用性)
と
(同期的コミュでの有用性)
の混同はあるのかなあ、という感想。
@omasanori ミーもそう思うんですが、なんか「同期コミュなら音声(Zoomとか含む)以外の選択肢は論外でしょ!」みたいな風潮に押されがち。
https://www.fdma.go.jp/mission/enrichment/kyukyumusen_kinkyutuhou/net119.html
メールではないけど、こういうのはあるよね。
ミーにとって興味があるのは、同期と非同期の差異では無くて、テキストと音声の差異。
ということをここまで書きそびれていた
元ポストリプ欄( https://twitter.com/cat_maroon/status/1786791928547184808 )の「郵便ポストに手紙が真夜中に来ても文句言う人はいない」はなかなかおもしろい観点で、郵便ポストと違ってメールはいつでも送れて受信側も簡単に確認できるから、反対派の意見として「例え通知が来なかったとしても、メールが来る可能性を考慮しなきゃいけない事自体が嫌」というのもあり得るだろう。
もっともこれは少数派だろうし、ちょっと我儘な気もするが。
そして例の「緊急連絡ならメールを使うべきではない」の是非については誰も取り上げてくれないのでミーはがっかりする。
それを踏まえて、「非同期コミュならいつでも連絡して良いのか?」について。
賛成派の典型的な意見は、「別に返信はいつしてくれても良いんだし、通知来るのが嫌なら切っとけば良いじゃん」だろう。
これに対して反対派は、「いや、緊急連絡もメールで来ることがあるからそうは行かない」と言うだろう。
これに賛成派は、「緊急連絡ならメールを使うべきではない(前述の主張)。そもそも夜中に緊急連絡するのが間違い」
最後に反対派が「確かにそうだけど、しょうがないじゃん」
これが典型的ないつもの流れ。
それはそれとして、件のポストの争点にすべきは恐らく「メールというツールとの付き合い方」では無くて「非同期コミュならいつでも連絡して良いのか?」なんだよ。
ポスト主はナチュラルにそれを是としているから前者を槍玉に上げたのだと思うが、リアクションを見れば分かる通り、未だにそれには答えは出てない。争点の混同も見られる。
「同期的コミュなら電話を使え」の対偶的主張が「メールを使うなら非同期コミュしろ」であって、これもミーには辛い。
「でもみんなは電話の方がやりやすいから」というならそれはまあ我慢する理由にはなるが、前者を根拠として後者を主張したり、混同して有耶無耶にされるのは納得行かない。
(同期的コミュニケーションでの有用性)/(非同期コミュでの有用性)
において、
(電話)>(メール)
が成り立つことはほぼ間違いないと思うが、それは(同期的コミュでの有用性)においても(電話)>(メール)が成り立つことを保証しない。
事実、ミーにとっては同期的コミュでもメールの方がやりやすい。特に多人数の場合。
ニコニコに当代一流の活動者が集まってたのって本当に最初期だけで、ロートルの巣窟になってた時期を経て、今は「ニコニコで育ったけどYouTubeを主戦場にしてる人」がニコニコを再興させようとするフェーズに入ってる気がする。
一時期ほどオワコン感は無い。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
ネガキャンというか、あえて相手陣営に対する下手な擁護を誘引する/匿名で発信する行為。逆ステマというか……。
信頼し過ぎる人には普通のキャンペーンが良く効く。同様に、「逆の信頼」をし過ぎる人には、ネガキャンが良く効く。
そもそも、思考を完璧に論理的な形で伝達できるなら、その本文と引用文献だけを見て正誤を評価すれば良いのだ。表現の曖昧さだの、論拠・引用文献を再帰的に辿っていく作業の果てしなさだの、本文を読解する手間だのがあるから、メタデータによる推定とかいう不確かな手段に頼ることになる。
「信頼できない人間の言うことは信じられない(疑わしい)」と言うならまだ分かるが、「だからその否定を信じる」と言うなら、それもある意味信頼なのでは?
効率良く相性良い人を見つけるための方法は色々生み出されてはいる。それでも「片っ端から多くの人と関わる」以上に高効率な方法は無いような。
実際に能力を向上させるのは大変で、他人からは有能と見做された方が概ね得だが、過度な見栄っ張りは露見した場合の損害も露見する確率も大きくする。
こんな心配は杞憂かもしれない。なぜなら、全体が困窮してくると、そういう人間はなんだかんだで殺されるから。殺す側ですらそれを本気で望んではいないのに。
その事実を受容した上で、それでも世の中にもたらす利益を最大化するように努めるのが正しいあり方だとして、そのための具体的な方策が「余計なことをしようとしないで、大人しく庇護される」であるケースもしばしばある。それもまた、積極的に成果を上げてきた人にとっては受け入れがたいことだろう。
現役時代活躍した人が、介護される側に回ってから厄介化する例をたまに聞くが、根本原因はそこだと思うんだよね。ジェネレーションギャップとかじゃなくて。
今のミーにとってはその確率は低いものの、今後の人生で世の中にもたらす利益の総計がマイナスになる可能性はあるんだよね。
いつかは、その確率が限りなく1に近づく時が来る。その時人はどうすべきなんだ?
少なくともミーなら、その事実を受容できないし、生きる理由を見出だせない。
ミーは物語や関係やアイディアが好きなのであって、言葉や絵や音楽はそんなに好きじゃないんだけど、後者を介さないと前者を伝達できないから、しかたなくそうしている。
人生に自分の裁量で左右できる部分なんてほとんど無くて、99.99%は天地の取り分、残りのうちのさらに99.99%は人の取り分、その残りカス(全体の一億分の一)が我の取り分、というぐらいの感覚。
その裁量の背後に、自由意志というものが存在するかすら分からない。