どうせ常に赤字を出してる零細二次創作者だから本の部数などは金銭に関わるデリケートなことであり避けるべき話題、の感覚が肌に身についてない ぺろっと言いたくなる 自己申告なら別にいいのか?
どうせ常に赤字を出してる零細二次創作者だから本の部数などは金銭に関わるデリケートなことであり避けるべき話題、の感覚が肌に身についてない ぺろっと言いたくなる 自己申告なら別にいいのか?
九州住んでたときなんかは旅費で赤字確定だからあくまでごくたまに金をかける趣味の認識だったな 旅行の一貫みたいな
からなんか弱小サークルですっつって50部とか刷ってるのを見るとおお……ってなる 50は多い
自分の絵好きだけど本にしたものに特段愛着を覚えるかと言われたらそうでもなく、むしろ在庫となって手元に残ると若干疎ましさが付与されるんだよな
物質としてのそれの実在性に感銘を受ける、というこをあまりしないっぽいか……?モネの睡蓮も実物観るより印刷やモニターの方が好きだったんだよな……
本になっている(それっぽくなっている)ことは好きではあるけど、それは既存の本の真似事が好きなわけで、描いた漫画そのものがすこぶる愛おしくなる作用が起きてるわけではないというか
アンソロジーはむしろ本質の面で紙媒体に価値があると思ってるからやっている節がある Web上でのアンソロジーの場合公開し続けるにはサイトの保守が必要だし、PDFの配布も人によっては失くしやすく、また作品の公開を参加者個人のページに任せたら読者は探しにいかなくてはならなくて、結局本媒体が一番効率的だったりするよな〜ってなる
でもその分情報格差が起こりやすいから、PDFでの配布と両輪がいいかな
物質や実体験というのは往々にして他の良かったり悪かったりする記憶と結びつきやすくて、それを勘定に含めたくないあまり本質主義に偏ってしまう
俺が二次創作であれこれ作っているのは結局のところ「他のジャンルやキャラではこういうのがあるのに私の好きなものには存在しない。不公平だ」みたいな意識が根本で、これは創作意欲と称していいものかいつも迷う 俺も同じ玩具を買ってほしいだけで、その玩具が心から好きかと言われると自信がない
ただ本質(元の作品やキャラ)が好きなだけで、それを使って遊ぶ玩具をみんな持ってるのに俺だけ持ってなくて、ズルいなと思うからやってて、でも玩具自体がとても好きってわけでもないんだ 歪だ
模倣ばかりを作りたがる者はこうして本質から遠ざかり、そのたびに夢から覚めた心地になるのだなあ
Let the Sky Fall ラフ