ヘルク17話まで見た!だいぶ尺取ってるけどこれ3クールあります?
ヘルクアニメいいんだよな〜〜〜正直最近流行りのぬるぬる感を期待したらがっかりすると思うんだけど、原作の独特のギャグテンポがちゃんとアニメナイズドされていて、声優のキャスティングが堅実で似合っている上に演技にも説得力があって、構成がアニメ1話の尺に収まっていて引きが良くて、原作を置いていかない感じがある
絵コンテが手堅い感じするんだよな ダイナミックで派手なところは少ないけど、飽きないし過不足ない
まあこれで2クール編成になっててあと全部4話くらいで畳んだらズコーになるけど 3クールめある?大丈夫?
大事な1話分とかに注力しすぎず全体としてクオリティをそこそこに保てるよう調整されてるなと思うからバランスが良いんだろうなと思う ので3クールめ行ってくれ!保たないぞ!
でも今日び最初から3クール構成のアニメある!?いけるか!?原作完結済みならその辺も織り込み済みか!?
今Blu-ray情報見たけどこれ4クールじゃない?(1巻に12話収録されているのが4巻分ある)
好きな原作のアニメでこんな尺取ってくれることあるの?
ヘルクの辛い過去も大事なんだけど、それと同じくらいヴァミリオがどれだけヘルクの希望になってるかとか魔族のみんながどれだけ頼れる存在かとかそういうのも大事でえ……
ヘルクは全体的にファンタジー系RPG(主にドラクエ)の構造をしていて、無限コンティニューできる勇者がそれでもエネミー(魔族)を倒せなかったら、詰みかと思ってもうリセットするしかないか〜となるそれなのかな
いわゆる転生系と同じようにドラクエ始めとするRPGの世界観やシステムを踏襲しているが、登場人物たちには一切ゲームというメタ認知はなく、その世界の中で人格を持って生きており、ゲームシステムからのメタ攻撃を退けるために頑張っている、という構図なのが最近じゃないっぽさの要因かも ファンタジー世界で生きることを描いている
めちゃくちゃ遅延が発生してるリモート会議でスピーカーにしてるっぽいから声を反響させる上に喋りの間が長くてタイミングが測れない上に相手の間のことは考えずたびたび声を被せてくるの……リモート通話が下手!!!
ヘルク読み返しながらも思ったけど、虐げられて権力を持たない”優しい”人間でも、力を得た先ではそれを誤って行使しかねず、しかし苦しみに寄り添う希望があれば正しく在れるかもしれないという愚直な信じ方の作品のこと好き
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愛する男を神格化して裏で守ることで自己実現するタイプの不健全な屈折BLだ!ステクラで見ました
俺くらいになると進捗会議で怒られないようにギリギリの業務をすることを繰り返して日々を乗り切るようになる
かつての時代における伴侶のように、「普通みんなに存在するもの」という常識がまかり通っていると、実際以上に存在しないことの損害を強く感じてしまうので、「普通は相談ごとや悩み事を話せて気軽に遊びに誘えてお互いを想っている友達」が「普通みんなに存在する」という意識も解体した方が有益
唯一無二の親友が存在するという幻想は、そういった友達を欲する側のみならず、そういった友達であるよう投影される側にとっても有害になり得る
本来何を開示し何を共有しどの程度の頻度で会い主にどういった目的を持っているかは各”友達”ごとに千差万別で、そこに優劣や関係の強弱はない まあ人間関係全部に言えることですが
もちろんなんでも共有してなんでも話せて気軽に遊べる友達関係はこの世に存在するだろうが、「友達なんだからさ」と信頼関係の構築を飛び越えることはできないのは、「夫婦なんだからさ」「家族なんだからさ」「同僚なんだからさ」に置き換えてみてもよくわかることだと思う
だから万能友人がいなかったとしても何か特別に劣等感を感じる必要はない(恋人や伴侶がいなくても恥じることはないのは最近わかってきたよね)のだけど、劣等感や寂しさはやはり社会の”常識”との落差にもかかるから、”常識”の方を解体した方が確実かなと
何か人間関係を得たいと思うとき、「いつも一緒に行動するしマメに連絡取る友人」が欲しいのか「ある一定のイベントごとのときだけ集まる仲間」がいいのか「ほぼ干渉しないけどなんとなく互いに認知して挨拶しあってる知り合い」がいいのかとか、そういうことをちゃんと考えた方がいいんだよな まずは自分の欲望を言語化しなければ望みを叶えられない
そういえば母さんって”親しい友人”の影がほぼ見えなかったな 家族関係と同僚関係でほぼ満足な人だったのかもしれない
まあ仕事も家事も忙しい人だったから時間がなくて疎遠になって本当は寂しかったのかもしれないけど、本を読んだりドラマを見たりしている姿は充実しているなと感じた
そんなようなことを、ふわっとした”友人”の幻に寂しさを埋めてほしいと嘆く人を見るたびに思う ”友人”の用途をあまり限定しない方がいいのかなとか 友人という生き物じゃなくて個人だから
友人関係の継続しやすさって個人差あるからな マメな連絡が苦手な人がいつも一緒でなんでも話せて気軽に遊べる友人関係を保有し続けることは難しいから、自分を叱咤して強制的な集まりの中に友人を置くか、自然体のまま流動的な人間関係をその時その時築いていくかとかそういうことになる
父さんは連絡がやけにまめまめしいから友人とちょくちょく遊びに行ってるのもまあわかるな 人間に電話をかけるのが苦にならない人間は関係が続きやすい(持論)
人間関係構築の要領が良い人は、一定の関係の完全でなさを許容していがちな雰囲気もある 妥協することも折り込み済みみたいな
俺みたいに潔癖で理屈っぽい奴は多分運がよくないと難しい
自分がその関係に求める望みをはっきりさせるというのは関係ありきで人間と繋がろうとする人ほど有用だと思う マッチングアプリだと普通だけど、「友達募集!」よりは「週1でオンゲに2時間くらい付き合ってくれる人募集!」って条件提示した方がハードル高いな……って思われずしっかりマッチングできるし その後もっと遊びたかったら条件のすり合わせしていけばいい
まあこうやって考える感じ、「各人に何が求められてるかわからない目的のない懇親会や食事会が苦手」の人間が考えそうだな~と思う 苦手です
この場所でこういうことをします、話題はこれです、ゲームをプレイします、参加者募集してます という集まりを最も望ましいと思っている人間の発想
他者から自分にどういう期待が向けられているのか基本わからず、期待に応えようがないなら私の期待を相手に被せることもできないためその場で人間関係におけるギブアンドテイクがまったく発生せず宙ぶらりんなままになる、みたいなことがよく起こる よくというほど他人との食事会には行かないが
だから最初に目的を定めて募集することで自分に向けられる期待を絞っておく、みたいなことをやりたくなる これも健全かと言われると全然そんなことはない気するなあ~
和ホラー好きなんだけど、より心理的でじっとりした感じがあっていいのかも 絵面が派手であることを求められてないから
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