イスラマさぶっ!
ちゃいろのニポン語垢
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[趣味]
#写真 / #南亜細亜 の #イスラーム 文化圏、主に #パキスタン 🇵🇰/#アフリカ の仏語圏、主に #コンゴ 🇨🇩/ #音楽 と #文化 と #言語 と #うまいもん 、あと #アラビア書道 修行中。
[音楽]
ローカル向け現代・古典・宗教音楽(欧米向け「ワールドミュージック」ではない)/ヒプホプ・ソウル
[アラビア書道]
今のところ #ナスタアリーク ( #Nastaliq )一本やりで愛してる。最近練習サボり中。
[他]
深みのない知識と妄言/冗長独白散文/どうでもいい壁打ち用
🇯🇵→🇮🇳→🇯🇵→🇵🇰→🇯🇵→🇵🇰
#searchable_by_all_users
…と、おおらかなパの空港模様。今度はもっとおおらかなことが背後で。
軽めのケーキをご所望の背後のおじいちゃん、席から
🌚「どれが1番軽いかのう」
🙂「このキャロットケーキですかね」
🙂「お支払いは?」
🌚(カード渡す)
🙂「レジの中から)sir 、カードの PINコードは?」
🌚「大きな声で)XXXX 」
🙂「はい、カードお返しします。(ケーキと共に」
パの安全・危険の基準、よくわからない。
国内線はサービスエリアを中心に、とてもコンパクトな円形になってて、全体を一周回ってもものの一分、外周でも数分で回れるような規模感が故か、搭乗口に一向に現れない乗り遅れ客を呼ぶアナウンスと共に、二人のスタッフが人力で名前を呼びながらトイレの仲間で探し歩いてて微笑ましい。ペシャワールに行きそこねるよー、イリヤスさーん!
パには微妙な規模感のオサレ4人がけテーブルがあまり客の導線お構いなしに並べられてるけど、今は一人での移動客ばかりで、おれのテーブル以外、知らないモジャモジャしたおっさん同士が相席してスイーツ喰っとる。
女の席には座ってこないのでおいらだけゆったり😆
(来客層によってはたぶんおばちゃんが容赦なくカバンの上にも座ってくることだろうけど)
カラチの空港はラホールとは対象的に撮影禁止も書かれてなければ、チャラい喫茶店もある。
昨日んまいんまい言って喰ってたビリヤニ4食分もするケーキセット喰ってる。たっか。
へー、試そ。
日本人開発者向けの最適解? GitHubフォント+IBM日本語フォント=「Moralerspace」【レビュー】 - 窓の杜 https://forest.watch.impress.co.jp/docs/review/1574553.html
カラスはどの国にあっても、賢くておもろい鳥だなあ。
妙に至近距離で鳶の鳴き声がする(夜とかもちょいちょいしてた)ので声の方を見やったら、カラスしかいなくて、ソイツがピーヒョロロロって言ってた。鳶のモノマネカラスだった。3度見した。
本帰国の際、在留カードって穴開けられるけどそのまま持ってられるんだね、知らんかった。それを知ったゲスハの残留組は、いい思い出グッズになる、と喜んでる。そんな感じなのか。
パ🇵🇰にいる間もゲスハのグルチャは淡々と日々のわいわいを伝えてきてるのだが、色々なハプニングも起きてるようで、たまに笑う。
2週間くらい前からかわいいキラキラ仏人女子が新たに入居してるので、野郎たちも楽しそう。
そして今日はとうとうヒスパニックくんの本帰国の日。元気でね〜。
ワイワイの中心人物だった彼が居なくなるとまただいぶ雰囲気は変わるのかな〜。
…と、そんなコトを語りながら、カラチ最後の晩飯はこのエリア内の西洋的ジャンクを買って喰った。もう揚げ物喰っても大丈夫そうだ。
でも貴重なビリヤニ1食分の機会をコレにすべきだったかは悩ましいな。チョコレートムースは無茶苦茶美味かった。
大都市の中にはゲートで区切られてて、住民以外は入れない仕様になってる区画があって、今世話になってる家もそういう区画内にある。
殺伐とした一般庶民の暮らしとは異なり、夜中に女が一人で歩いても安全の保証されてる世界である。その上、外国人でなくとも、入口に銃を持った警備員を雇ってる家も少なからずあるので、なんなら治安平均値が高いが故、そこにあまり手をかけてないニポンの都市部より余程安全かもしれない。
こういう場所に暮らしたことはおいら自身ないので(とはいえ、違った意味で(異様に)セキュアな特殊な場だったので長きに渡る軟禁状態にも陥った訳だけど)、わざわざ陽が落ちてから買い物に出てみた。
妙な開放感と共にひどく歪みも感じつつ、とはいえ、囲われた安全のもと、夜の公園遊具で遊び回る子供だとか、それを見守る色んな姿の大人たちを見てて、得られる人たちだけでもそういう安全を金ででも何でも買って、猜疑心の薄くてよい暮らしの体験のできる人が増えても、それは悪ではないよなあ、がしかし、得られない人たちにもそんな時は来る可能性はあるのかなあ、ないよなあ…という自らも偽善者100%みたいな気持ちにもなるので、文字通り、なんとも言えない気持ちにしかならんかった。