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もうひとつ付け加えると、大通公園のベンチには仕切りがついておらず、寝そべることができる。

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大通公園の芝生が立入禁止になってしまったら、札幌は札幌でなくなってしまう、とまで僕は思っている。

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上京したときにカルチャーショックだったのは、公園の芝生がどこも立入禁止なこと。札幌の大通公園にそんな無粋な禁止はなかった(し、今もない)から。

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爪は明日の朝切ろう。

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湯沸かしポットのある生活は良い。たとえそれを使うものがペヤングだとしても。

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@another てかこれ、作業評価型じゃなくて成果物評価型の職場でもアウトじゃないか。だってこれだと上司が(暗黙裡に)期待するレベルの成果物の締切を破っているんだもん。「勝手な解釈」が脳内に沸いた時点でそれを上司に述べなければならないのだな。うーむ難しい。

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←この人には、業務の絶対量が自分のキャパを超えた場合、業務の範囲を勝手に都合良く(狭く)解釈し、その部分だけやって形式的に間に合わせ、余裕が出たところで(しかし本来の締切は過ぎている)ようやく「実はまだこれをやってません」と残りを上司に提示するという大変悪い癖があります。

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スーパーで買った(生食用ではない普通の)肉を調理しないで生で食べて、腹を壊したと言ってスーパーを訴える人が出現するのは時間の問題だと思っている。

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例えば「InstallあるいはUninstall」にマッチする正規表現として、音節を途中でぶったぎって/(I|Uni)nstall/とやることに僕は抵抗を感じないんだけれども、気持ち悪がる人は案外いるようだ。

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なお、一つ前のツイートを接続詞で始めると自己言及的になったけど、なんでも自己言及にするのはいかにもネット臭くてあまりかっこ良くないという自意識が働いてヤメにした。

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前から続くツイートがないのに、意味もなくツイートの書き出しを接続詞にすることがある。

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客引きからの二人称は、*まだ*「お兄さん」である。

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昨日聞いて納得した説: 現在の下北沢は若者の町というより、二十年前に若者だった人の町である。

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文字が書けるウェブサービスなら何でも日記にできる。

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ロックの歌詞に「baby」という語がやたら頻出するのを昔からいぶかっている。

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「はやぶさ(新幹線)」とか「はやぶさ(探査機)」という注釈が見出しに欲しい。

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東京都の政治について、おたくら(ダブルミーニング)はどこまでシングルイシューなの?

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桃の節句。寿司食べたい。……「べた」を除去できなかった。惜しい。

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無頼派 ⇔ クリフト派

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わわっ。http://twitter.com/another/status/9922474473 でIDを間違えていた。本人がここを見て下さっていたから意思疎通できていたけど、5字目と6字目が入れ違っていた。今更やり直します。@murashit

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反省。http://twitter.com/another/status/9921253607 は確かに「説明」になっていない。「みんなそーゆってるからー」でお茶を濁してしまった。でもいまの僕に直感を展開して説明する気力はない。どうしよう。週末なら気力とか暇を作れる?

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@murahsit 『走れメロス』の冒頭かと思いましたけど、あれは「メロスは憤怒した」じゃなくて「メロスは激怒した」ですよね。

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@youkoseki 彼女が記事をアップするたびに、厳しくもっともなツッコミが複数個所から入るという構図を何度も見てしまったので。

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カラオケでアグネス・チャンを歌う行為が嫌がらせとして機能する世間というのも多分あるんだろうな。

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「"辻ぷちこ"との一致はありません。」

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ちきりんのおばちゃんは、先々月くらいにダンコーガイと同じ箱(=眉唾)に入れたので、phaさんをお食事に誘ったと言われてもあまりいい感想が湧かない。しかし、こうやって周りが勝手につついてくれるお蔭で生活に困らないという意味では、phaさんはニートとして勝利しているわけだ。

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隠しすぎる腐女子と隠さなさすぎる変態「紳士」との中間に中庸があるような気がしたが、原理的に言って、隠しすぎるか隠さなさすぎるかのどちらかしかありえないのかもしれない。

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むかしむかし、あるところでは、歌詞そのものどころか、替え歌を投稿しただけで、lala-zという、それはそれはこわい人が「失せろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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「ぐるぐる回ってメマイを起こして神を見る」というところだけ抜き出すと、スーフィズムはそこらの小学生と区別がつかない。まさかそんな底の浅いものじゃないと思うけど。

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雛人形? 雛って鳥の子どものことだよね? 人形って人間の形を模したもののことだよね? 鳥なのに人間ってどういうこと?? ……という質問をする外国人がいてもおかしくないと思う今日このごろ。

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デマゴギー。デマこき。デマこくでねえ。

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なんか、あらゆる職業が世襲されることを望んでいる人の方がずっと多い気がしてきた。

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しまった。相互フォローしてたんだった。自爆。

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人々に信仰があれば、例えば医療崩壊とかは防げるのかなあ。具体的にどうやって?

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ダメな技術者集団の見分け方: 自分たちのコミュニケーションのためのツールしか作らない。

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話はまったく飛ぶが、hejihoguの人は言うことがいちいち優等生的というか普通すぎて、自分にはあまり面白いと思えない。

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ガチで左翼なら「ひなまつりは 天皇制を賛美する おぞましい しきたりだ。ぶっこわそうと おもうのは あたりまえだ。」くらい主張しないと。

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「量への信念」ってのが、どうやらある種のギークにはあるらしい。例えばBotを駆使して異様に大量のブックマークをするとか。これは自分にはない価値観なので、ちょっと研究すると面白いかもだ。

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「知っているのか雷電」も、ポルナレフの「ありのままを話すぜ」も、人口に膾炙するようになったのはネットが普及してからのことだ。たしかに以上のセリフは1990年頃のジャンプに掲載されていたものだが、僕の知る限り、20世紀中は常套句になっていなかった。