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昭和後期の日本社会に多様性がなかった感じを僕なりに寓話化すると、いまのような調子になるのでした。

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今はまた表に書かれた選択肢が増えている。でもその選択肢の数は人によって違うんだ。そして、選べるからといって、その方が幸せとも限らない。でも、昔は誰もが一つの選択肢しか選べなかったんだ(と記憶している)。それよりはちょっとだけマシなんじゃないの?

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「次の表から選ぶことができます」と言ってるのに、実際の表には一つしか選択肢が書かれていない。僕が80年代頃の社会に感じていた窮屈さとは、例えて言えばそのようなものだった。一つしか選べないならなんで表にするの? 昔はもっと選択肢があったの? みたいなことを漠然と思っていた。

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一が上になったサイコロをアイコンにしたら、噂の日の丸クラスタに入門できるかしらん。あるいは、梅干をごはんの真ん中に置いたお弁当の写真では。

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書き手が味方としている側には全然感情移入できなくて、逆に書き手が敵役として設定している方にばかり感情移入してしまう状況ってあるよね。

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「"蓮華一二三"との一致はありません。」これすらないのか。

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「"蓮華記録"との一致はありません。」 Lotus Notes の訳のつもりで検索してみたんだけど、ないのか。

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藤原不比等という人名は無駄に数学っぽい。「比が等しくない」とは。

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夢の中で取り返しのつかないことをして、目が覚めてから「ああ、夢でよかった」と思うことがしばしばある。現実の方が夢より過ごしやすいことの幸せを、とりあえずは噛み締めたい。

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ミットヴォッホ!!! と、意味もなくドイツ語で今日の曜日を叫んでみた。