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「初歩的ミス」なぜ 福島第一原発デブリ取り出し、見過ごされた異変
お粗末。
それにしても、この試験的なデブリ取り出しがうまく行ったところでどうにもならない。いったい何年かけたら廃炉できるというつもりか。
石棺化方式で原子炉全体を封じ込める方が簡単だろうと思うのだけれど、本当のところ、どうなん?
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グリコさんがまた旨そうな写真で誘惑してくる、、、
田舎の生活で困ることの一つにうまい黒ビールを手に入れにくいということがある。つい半年前までは最寄りのスーパーでもギネスを売っていたのだが今はもう無い。田舎で進む貧困化の表れの一例だろう。都会でも程度の差はあれ同じことだとは思うが。
https://kotobaphil-mtdn.eu/@softark/113085098906935676
前のトゥートで、田舎生活が天国ではない理由として人口の少なさに起因する社会資本の貧弱さを挙げた。しかし考えてみると、それは既に田舎で生活している者にとってはそうだという話だ。それ以前の田舎か都会かの選択においては精神的な自由の問題が大きい。田舎で暮らすとなると地縁コミュニティへの帰属を余儀なくされて他者との適切な距離を保ちにくくなる。男性年長者を頭に据えた縦型社会に組み込まれて自由が利かなくなる。そうしないと容易に孤立して生活しづらくなる。職を得ることの難しさもあるから、若い人(特に女性)が隙さえあれば田舎を逃げだそうとするのは当然だろう。
田舎の優等生であった私自身の話としても、都会での大学生活で高転びしなければ、それなりの企業に職を得て、今頃は都市近郊の新興住宅地で優雅な年金生活を送っていたと思う。たまに田舎に帰っては人付き合いの鬱陶しさに辟易したり、全国を回って棚田カードを蒐集したりして。
ただ、都会生活にどれだけの自由があるかは大いに疑問に思う。ほとんど自治が無い状態での、金さえあればの自由に過ぎないように見える。
区長(≒自治会長)の集まりや、最近流行の地域共生推進に関連した集会で人の話を聞いて感じるのは、住民の意思を行政に伝える経路が伝統的な地縁コミュニティ(つまり集落自治会)以外に無く、女性・若い人・単身者・外国籍者などの意見を行政施策に反映する方法が無いということだ。
集落自治会は家父長制に基づくもので、集落内の戸主を成員とする自治組織だ。個人ベースではなく家ベースの自治。伝統的には男のこれと並んで一家の主婦の集まりとしての婦人会があるのが普通だった。だったと過去形で言うのは今では崩壊が進んで形骸化している場合が多くなったからで、かつて町にあった連合婦人会(区長会に相当するもの)は既に廃止されている。
町では男女共同参画推進助成金をもうけて、集落役員に女性を登用することを奨励しているが、あまり成果は上がっていない。誰もそんな役に就きたがらない。何かと集会や会議に呼び出されて興味のない話を長々と聞かされたり、村に持ち帰る仕事を押しつけられたりすることになるから勘弁してくれという人がほとんどだ。
家単位・地縁ベース・家父長制的上意下達のコミュニティ自治はもう無理になっていると思う。
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「家父長制的上意下達のコミュニティ自治」
上意下達の自治なんて矛盾も甚だしいんだけど、放っておくとそうなる。集落自治会は、面倒見の良い有能な役員に恵まれればそれなりに機能するが、普通は前例を踏襲することと町役場の指示を住民に伝達することに終始しがちになる。ここでも、多くの住民は役員になりたがらない。理由は婦人会の場合と同じで、行政の下請けとしてこき使われたり、形式ばかりの会合や集会への参加を要請されたりするばかりで、何も面白いことが無いからだ。つまり、おじ(い)さんたちの集落自治も機能不全に陥りやすい。
最近流行の地域共生という考え方は、集落自治と行政サービスの間をつなぐコミュニティを作ろうというものなのだが、一般的には集落よりも広くて市町よりも狭い地域(小学校や中学校の校区)に協議会を設置するという形で進められている。県内にも先行事例がある。会長・副会長・会計・監査役がいて、なんたら委員会が沢山あってと、形式だけは立派だが、概してうまく行っていない。二階建てのものを三階建てにして煩雑にしただけだから失敗して当然だ。
何か別の原理を導入する工夫がないと駄目だと思っている。
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福岡と北九州の違いもよく分からなくて、空港から小倉まで各駅停車で移動するというお馬鹿な旅をした仲間の一人なので偉そうなことは言えないけれど、豊かな街だという印象が強かったですね。暮らしやすそう。
その後で訪れた山口のうら寂れた印象(こら!)と大違い。