このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
フェイスブックごっこ。
みなさん、おはよう御座います。
昨日は甥っ子が彼女、と申しますか、先日入籍して晴れて夫婦となった訳でございますが、二人で墓参りに帰ってきてくれました。まだ寝ています。若い人は寝坊が出来て良いですね。私なんかとっくの昔に起きてます。
ともあれ、これで今年のお盆もおしまいです。いよいよ収穫の秋ですね。
では、良い一日をお過ごし下さい。
(いいねいいねいいね)
私はそもそも「犬死に」って簡単に人の死を人でないものにたとえて評価すること自体が問題だと思っています。
仮に本当にそうだと言える状態だったとして、自分の親しい人に「犬死に」とか言うやついたら、あなた、どう思います? あなたは仮になんとも思わんとして、そう言われて強い反発心や敵対心、悲しさや怒りを覚える人がそんなに少ないわけじゃないことは想像できます?
正しいことは結構ですけれど、その必要も特にないのに、わざわざ誰かを挑発する言い方しても、それってあなたの自己アピールでしかないですし。「リベラル」を自任するであろうあなたがたに敢えて言いますが、そういうあなたの態度が相手の態度硬化を招いているんじゃないですか?
こんな簡単なことでも、自分が否定されたら「たしかに!」って言えない人たちが、他者に対しては「そんな明らかなことすらわからないなんてバカ!!ザコ!!」みたいな口きいて、その結果、対立が無意味に深まり、そうした対立をエサにして、極右やニヒリストが肥えてくんだから、その点少しご配慮いただきたいです。
なんていうか、一部の、と言っても結構そういう人は多いのだが、「リベラル」と言われてる人、共感性がとんでもなく低いんだよな。「正しさ」でしか他人とコミュニケーション取れてなくない?別に「正しさ」を譲る必要は1ミリもないけれど、相手に同意はできなくても共感はできるし、共感はできなくても理解はできる。「小さいイエス」を引き出すのって相手に変化を起こさせる上でとても大事なんだけど、そんな発想自体がなさそう。
私も特攻隊なんてやおら若い命を無駄に失った、とんでもない愚行だと思うけれど、だからって犬死に犬死に言って、なんかそれも楽しそうな感じちょっとにじんじゃってるし、そういうのついていけないですよ。
本当なら「じゃあ、なんで犬死にって否定したがるのか」ってそこの「理解」からですよね。相手の気持ちなり、感情なり、信念なりの。その上で「共感」できるところを探す。で、その上で「私は同じことについてこういう言い方をする」「考え方をする」って伝えるって順番じゃないですかね。そうするとどちらも実はそこまで対立してないことも見えてきません?
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
逆にナショナリズムを「ダメ!とさえいえばなんとかなる」程度のものだと甘い認識持ってるから、少しでもナショナリズムに関係しそうな話には全力否定だけすればいいとか思ってんじゃないか? ナショナリズム、ナメんな、と言いたい。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
https://erscheinung47.com/@Erscheinung47/110908787350129628
いや、私は、太平洋戦争での死を「無駄死に」「犬死に」と思いたくない理由に配慮すべきかどうか、という問いには完全に YES と答えます。
死んだ本人やその家族にとって不本意な痛ましい死であったと思っているからこそ、何か理由を付けて、それでも無意味な死ではなかったと思いたいわけでしょう? 彼は自分の意思とは関係なく死んだのに、私は生き残った、と言う時に、彼が犠牲になってくれたから私が今も生きている、と考えたりもする訳です。何らかの筋道を付けて、彼の死と大いなる善とを結びつけて考えたくなるのは自然なことだと考えます。
そりゃ、「天皇陛下の赤子として大東和共栄圏樹立の理想に燃えて戦って散華したのだから犬死になどでは決してない」とか言われたら、おいおい、ちょっと待て、ですので、「無駄死にや犬死にではない」と考える理由の中には愚劣なものもありますが、そんな理由ですら、配慮に値しないと粗っぽく切り捨てると、死を悼むは気持ちそのものを否定することになって、あまり良くないと思います。
稲田朋美が「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という事を言ったことがあるでしょう? 当然ながら Twitter でも話題になって、左翼からはさんざんに貶された訳ですが。
この言葉で私が思い出したのは C.S.ルイスです。
『悪魔の手紙』だったかな。
(https://www.shinkyo-pb.com/books/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99/)
『キリスト教の精髄』だったかも知れません。
(https://www.shinkyo-pb.com/books/%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99%e3%81%ae%e7%b2%be%e9%ab%84/)
キリスト者なんだから、当然、戦争には反対でしょ?戦争は悪でしょ?という予想に反して、ルイスは、戦争そのものは人間の魂にとって悪でも善でもない、と言うのです。
さらに、戦場に駆り出されたら、正々堂々とスポーツマン・シップに則って、恨みっこ無しで殺し合え、そして、戦争が終ったら(あの世で)敵と肩を叩いて健闘を讃え合え、とか言うんです。
はぁー、何それ、ですよね。
でもね、そういう論理は成り立ちうるんです。キリスト教でもね。
で、最初に戻って、稲田朋美。全ての人が持っている(かもしれない)戦争賛美の心情をよくぞ言語化しやがったな、と思うんですよ。
あいつ、ナメちゃ駄目です。
C.S.ルイスの本、とっくの昔に古本屋に売り払ったので手許にない。ちょっと読みたくなったので、アマゾンで探したら、Kindle 版なら 340 円で全著作が入手できるのだった。おまけに原著(英語)だから読みでがあるったらありゃしない。(多分、残りの人生掛けても読み終わるの無理)
https://www.amazon.co.jp/Delphi-Complete-Works-Illustrated-English-ebook/dp/B01NBYW13Q