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私はまだ「やりたいこと100」リストを作っていないなあ。作ろうかしら。100も出てくるかなあ。
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『インターステラー』を観ている。3回目かな、4回目かも知れない。
やっとクリストファー・ノーランという人の名前とこの映画が繋がった。
最近、『インセプション』と『TENET』を頑張って観て、と言うのも変だが、何と言うんだろう、それなりに面白かったので、理解するために苦労しながら複数回観ているうちに、クリストファー・ノーランという名前を覚えたのだった。
『インターステラー』の面白さは群を抜いている。『インセプション』は、まあまあ面白い。『TENET』はねえ、結局、面白くなかった。
わはは、こんなの映画評にならないね。
@Ksyzr インターステラーは何より分りやすくて良いんだ。
映画の冒頭部分は、気候変動を原因とする食糧危機に苦しむ人類の近未来を描いた話として、細部もよく作り込まれていて、いやー、きっとそんな感じになるよねー、とそれだけでも面白く見ることが出来る。実のところ、インターステラーを見た記憶としては、あの冒頭部分が一番心に残っている。
凡庸な息子と利発な娘という設定の家族間のこまやかな情愛の描写も良いな。
大砂塵や異星の海における大波なんかの怖いばかりの映像美も良いよね。
SF的な仕掛けは、ワームホールとか、相対的な時間の遅延とか、冷凍睡眠とか、重力波と愛が時空を超えるとか、どれも適切に説明されていて、(あるいは映像美でうまく誤魔化されていて)、初見でも頭が混乱せずに済む。他でよくあるような、ああ、あの場面はこれだったのか、という答え合せを強要される所も少なくて、頭に対する負担が軽いのが良い。
人間にとっての時間というものの描き方がうまいよね。だんだんと生活に疲れ果てていく息子のビデオ・レターとか、若いままの父と年老いて死が近くなった娘の再開とか、泣かずに見ることは出来ない。
@Ksyzr
『インセプション』
レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、あとはよう知らん。映画フリークじゃないので。
最初に見た時は寝落ちしながら途切れ途切れに見たので、何かよう分らんかった。(あたりまえだ)
先日、腰を落ち着けてじっくり見たら、仕掛けもテーマも分った。まあ、面白かったし、良く出来ていると思った。
さて、『TENET』。
私には脳味噌に対する負担が大きすぎるんだよね。「解き明かされない伏線」みたいなものが多すぎないか?
冒頭のオペラ劇場、敵味方が分りにくいのが辛い。それに続く拷問シーンと復活も何かよく分らん。洋上風力発電の風車って意るんかと思うし。
そもそも、逆行する物理法則によって銃口へと戻ってくる弾丸を使って戦う、とか言うのは、もう無理。無理無理。
台風で何も出来ないので、アマゾン・プライムでクリストファー・ノーラン祭である。
『ダンケルク』
これは戦争映画としては淡々とした地味な映画だが、私には面白かった。
イギリス人には誇りを持って語ることが出来る戦争の歴史があるんだな。それと、お茶とビールだ。
戦争そのものが避けがたく持っている悲惨さは十分に描かれている。個々の兵士にとっては、運が悪ければ死ぬし、弱さや愚かさによって自分を貶め他者を害することもある。殺し合いだものね。
しかし、この映画では、戦いの中で英雄的というのではないが、精一杯に役目を果たそうとする人たちが肯定的に描かれている。英空軍のパイロットとか、徴用された民間船の船長父子とか。ダンケルクの場合は、大敗したフランス戦線からの救出作戦であり、敵兵を殺すことよりも同胞の生命を救うことに目的があったので、映画を見ている側でも、彼らのかっこよさを抵抗なく認めることが出来る。
地味だけど良く出来た国策映画という感じもしなくはない。
一番心に残るのは、燃料が尽きてプロペラも止ったスピットファイアが海岸の砂浜の上を静かに滑空するシーン。見惚けるほどかっこ良かった。
クリストファー・ノーラン祭
『バットマン・ダークナイト』三部作の一気見に挑戦したが、2.5 で寝落ち。
『バットマン・ビギンズ』
おお、渡辺謙若い。顔と目が丸い。
マイケル・ケイン良いなあ。
モーガン・フリーマン良いけど見飽きた感がある。
ルトガー・ハウアー出てた?気付かなかった。レプリカント以外の彼を想像できない私である。
『ダークナイト』
これはもうバットマンではなくジョーカーの物語だ。圧倒的な存在感。
俳優は誰?知らんし、興味ないけど、こんな役をやったら人間がおかしくならないかしら。
面白くないかと問われれば、面白いと答えることになる。けれど、そこには、人間の愚劣な部分を容赦なく刺激することで面白がらせている面があって、だから、好きかと問われれば嫌いだと答えることになる。
もちろん、バットマンはジョーカーの誘惑に負けることなく暗黒には落ちない。そういう歯止めはある。
けれども、危険すぎると思う。
でも、マイケル・ケイン、かっこ良いな。
ゲイリー・オールドマン渋い。
『ダークナイト・ライジング』
寝落ちしたので物語の筋がわからん。
女バットマン?何か安っぽすぎるな。
それはそうと、台風で稲がコケた。専門用語では「倒伏」という。コケるだろうなあと思っていたが、やっぱりコケた。
前もって ChatGPT に相談したら、「添え木でもしたら」という、てめー、こら、そんなこと誰がやるんじゃ、というアドバイスだったので大いに気分を害していたのだが、今は、はあー、どうしよう、添え木でもしようかという気分になっている。
まあ良い。今年は何とか誤魔化して、来年頑張りまーす。
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全ての稲が倒れた訳ではなくて、だいたい45度から60度ぐらい倒れた稲が田圃の中に目立つ感じ。そいつらは放っておくと、周囲の稲も巻き添えで倒しながら、収穫時期までに90度まで倒れると思う。
完璧に倒れたとしても、それ以前に稲穂に実が入っていれば、収穫は0にはならないが、品質は悪くなります。
周囲の田圃を見回したところ、ほぼ私の一人負け。台風が原因ではなく、稲作の技術的な問題ですわな。
ははは。
来年頑張るって言っただろう。
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クリストファー・ノーラン祭
『TENET』
教えて貰った「攻略本」を読んでからもう一度観たので、ある程度は理解できた。(@Ksyzr ありがとう)
でも、これはもう良いや。やっぱりそんなに好きじゃない。
https://kotobaphil-mtdn.eu/@Ksyzr/110897798608982660
『ダークナイト・ライジング』
寝落ちせずに観た。面白かった。
この映画の悪の親玉は、しかし、2作目のジョーカーほど怖くはない。その悪行にはまだ理解できる理由がある。
総じてダークナイト三部作は面白さが保証されているイディオム(貴種流離譚、忍者修行、忠良なる家臣団、超絶メカ、大都市最下層の闇、洞窟監獄、等々)を上手に組み合わせた、良く出来た娯楽作だと言って良いと思う。『ブレードランナー』や『MAD MAX』など先行する傑作からの借用を認めることも出来るだろう。ただ、やっぱり、2作目のジョーカーは娯楽にはきつすぎると思うぞ。
ところで「ナイト」と書かれると「夜」9.5「騎士」0.5ぐらいで脳内翻訳されるので、「ダークナイト」ではなく「闇の騎士」では駄目なのかと思う。まあ、大した事ではないけれど。
ぼくもご多分に漏れず地方移住系やゆるい働き方みたいな本は、時代の空気もあったし、結構読んだけど、だいたいどれも同じような話ばっかりだし、もう空気が変わっちゃってて、今読んでも得られることなんてほとんどない。当時「あと3年後にパンデミックきますよ」って自分に教えてあげたい。
コロナですべてが変わっていった。自分も私設の図書館を運営していたけれど、もう開けたくないと思うようになった。だって、マスクも消毒もしない人間が勝手に「見物」で入ってくるんだよ? 地方ってそういうことにも理解がないから、ほんと「一度見ておくか」みたいなただの散歩コースとして消費される。こちらがやってみたいこととは全然違うことだし、リスクにしかならないので、コロナを機に「無期限休館」にしてしまった。
その図書館で置いておくべきなんじゃないかと思って買っていたのが紙の本だったのだけど、まあ、ほんと誰も読まない(笑)。呪術廻戦や鬼滅の刃、SPY×FAMILYやドラえもんまでですね。借りられるのは。それでもそんなもんを置いておいたらラーメン屋みたいになるし、冊数が半端ないから…..。
SNSって総じて「おもしろい投稿ほどあんまり報酬もらえない」ところがある。
自分は少し抽象的な話に「ほほう」となるタイプなので、それがおもしろいと思って投稿することあるけれど、たいていそういうことは反応もらえない。
でも、そこに「維新」とか「自民」とか「家父長制」とか入れると多分反応がアップする。具体的な事件や事実に言及すればなおよし。
でもなあ。そういう具体性ばかりに即時的に反応すること自体に、自分は問題を感じているんだよ。だから、そんなことに問題とか一切感じてないらしい「サヨク」だの「リベラル」だの見ると、イラッとする。
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フェイスブックごっこ。
みなさん、おはよう御座います。
昨日は甥っ子が彼女、と申しますか、先日入籍して晴れて夫婦となった訳でございますが、二人で墓参りに帰ってきてくれました。まだ寝ています。若い人は寝坊が出来て良いですね。私なんかとっくの昔に起きてます。
ともあれ、これで今年のお盆もおしまいです。いよいよ収穫の秋ですね。
では、良い一日をお過ごし下さい。
(いいねいいねいいね)
私はそもそも「犬死に」って簡単に人の死を人でないものにたとえて評価すること自体が問題だと思っています。
仮に本当にそうだと言える状態だったとして、自分の親しい人に「犬死に」とか言うやついたら、あなた、どう思います? あなたは仮になんとも思わんとして、そう言われて強い反発心や敵対心、悲しさや怒りを覚える人がそんなに少ないわけじゃないことは想像できます?
正しいことは結構ですけれど、その必要も特にないのに、わざわざ誰かを挑発する言い方しても、それってあなたの自己アピールでしかないですし。「リベラル」を自任するであろうあなたがたに敢えて言いますが、そういうあなたの態度が相手の態度硬化を招いているんじゃないですか?
こんな簡単なことでも、自分が否定されたら「たしかに!」って言えない人たちが、他者に対しては「そんな明らかなことすらわからないなんてバカ!!ザコ!!」みたいな口きいて、その結果、対立が無意味に深まり、そうした対立をエサにして、極右やニヒリストが肥えてくんだから、その点少しご配慮いただきたいです。
なんていうか、一部の、と言っても結構そういう人は多いのだが、「リベラル」と言われてる人、共感性がとんでもなく低いんだよな。「正しさ」でしか他人とコミュニケーション取れてなくない?別に「正しさ」を譲る必要は1ミリもないけれど、相手に同意はできなくても共感はできるし、共感はできなくても理解はできる。「小さいイエス」を引き出すのって相手に変化を起こさせる上でとても大事なんだけど、そんな発想自体がなさそう。
私も特攻隊なんてやおら若い命を無駄に失った、とんでもない愚行だと思うけれど、だからって犬死に犬死に言って、なんかそれも楽しそうな感じちょっとにじんじゃってるし、そういうのついていけないですよ。
本当なら「じゃあ、なんで犬死にって否定したがるのか」ってそこの「理解」からですよね。相手の気持ちなり、感情なり、信念なりの。その上で「共感」できるところを探す。で、その上で「私は同じことについてこういう言い方をする」「考え方をする」って伝えるって順番じゃないですかね。そうするとどちらも実はそこまで対立してないことも見えてきません?
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逆にナショナリズムを「ダメ!とさえいえばなんとかなる」程度のものだと甘い認識持ってるから、少しでもナショナリズムに関係しそうな話には全力否定だけすればいいとか思ってんじゃないか? ナショナリズム、ナメんな、と言いたい。
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https://erscheinung47.com/@Erscheinung47/110908787350129628
いや、私は、太平洋戦争での死を「無駄死に」「犬死に」と思いたくない理由に配慮すべきかどうか、という問いには完全に YES と答えます。
死んだ本人やその家族にとって不本意な痛ましい死であったと思っているからこそ、何か理由を付けて、それでも無意味な死ではなかったと思いたいわけでしょう? 彼は自分の意思とは関係なく死んだのに、私は生き残った、と言う時に、彼が犠牲になってくれたから私が今も生きている、と考えたりもする訳です。何らかの筋道を付けて、彼の死と大いなる善とを結びつけて考えたくなるのは自然なことだと考えます。
そりゃ、「天皇陛下の赤子として大東和共栄圏樹立の理想に燃えて戦って散華したのだから犬死になどでは決してない」とか言われたら、おいおい、ちょっと待て、ですので、「無駄死にや犬死にではない」と考える理由の中には愚劣なものもありますが、そんな理由ですら、配慮に値しないと粗っぽく切り捨てると、死を悼むは気持ちそのものを否定することになって、あまり良くないと思います。
稲田朋美が「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という事を言ったことがあるでしょう? 当然ながら Twitter でも話題になって、左翼からはさんざんに貶された訳ですが。
この言葉で私が思い出したのは C.S.ルイスです。
『悪魔の手紙』だったかな。
(https://www.shinkyo-pb.com/books/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99/)
『キリスト教の精髄』だったかも知れません。
(https://www.shinkyo-pb.com/books/%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99%e3%81%ae%e7%b2%be%e9%ab%84/)
キリスト者なんだから、当然、戦争には反対でしょ?戦争は悪でしょ?という予想に反して、ルイスは、戦争そのものは人間の魂にとって悪でも善でもない、と言うのです。
さらに、戦場に駆り出されたら、正々堂々とスポーツマン・シップに則って、恨みっこ無しで殺し合え、そして、戦争が終ったら(あの世で)敵と肩を叩いて健闘を讃え合え、とか言うんです。
はぁー、何それ、ですよね。
でもね、そういう論理は成り立ちうるんです。キリスト教でもね。
で、最初に戻って、稲田朋美。全ての人が持っている(かもしれない)戦争賛美の心情をよくぞ言語化しやがったな、と思うんですよ。
あいつ、ナメちゃ駄目です。
C.S.ルイスの本、とっくの昔に古本屋に売り払ったので手許にない。ちょっと読みたくなったので、アマゾンで探したら、Kindle 版なら 340 円で全著作が入手できるのだった。おまけに原著(英語)だから読みでがあるったらありゃしない。(多分、残りの人生掛けても読み終わるの無理)
https://www.amazon.co.jp/Delphi-Complete-Works-Illustrated-English-ebook/dp/B01NBYW13Q
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昔、大学入試の一定部分を籤引きにしたらよい、と twitter で言ったら、一生懸命に勉強している受験生に対してそんな不合理なことはとうてい出来ないという反応が返ってきたことがある。
でも、籤引きによる入試って、そんなに悪いと思わないんだけどな。
学歴によって社会階層が硬直するのを、籤引きの偶然性によって混ぜ返すというアイデアなんですけど。