@jamesjames1910 あるさー
おーこれはなんとも印象的な
“天空の大湿原”紅葉の苗場山へ 山頂に大小1000もの「池塘」広がる楽園 新潟と長野にまたがる日本百名山 | TBS NEWS DIG
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/782905
これ凄いぞ
旅人 – James F. の日本語ノート https://james1983.com/2023/10/20/tabi-bito/
人間は必ず人生という旅の途中で客死するもので、死は、決して向こうにあるゴールではない。
死は、中断なのだ、というふうに読んでいた。
ひとは、この世界にやってきて、また去っていく。
なにかを成就したい人や、ただ生き抜くために懸命な人、もうなにもかも嫌になって、投げてしまって、ただ死を願っている人、
どのひとも人生は等価で、ただ旅の中途で、この世界から出て行く。
ブッダは生まれ故郷の町を目の前にして死ぬときに、渡された乳粥のうまさに満足して、
「もう、この辺でよい」と言って息を引き取ったというが、
どうやら、そんなのが人生の理想のようです。
生きているあいだは、熱心なファンがいて、自分でも少し無理をして、死後も自分の作品は残っていくはずだ、と自分に言い聞かせるが、一方では、自分と同じ境涯の作家の作品が、作者が死ぬと、綺麗さっぱり忘れ去られてしまったのをなんども見ている。
あるいは、うまく自然が隠蔽していた法則を見いだした物理学者は、真理をつかんで死ぬが、その「真理」に寿命があることも判っている。
もっと言ってしまえば、死んでから数年しか名前をおぼえてもらえなかった作家と、
百年少しおぼえていてもらえた作家とのあいだでは、なにが違うのか。
ひとは来て、去っていくが、世界という意識に刻みつけるように存在した個の意識は、
見知らぬ人の夢を訪問して、自分がなにを見たか告げてゆくので、
夢は忘れてしまっても、告げられたことは、案外とおぼえているものなのかも知れません。
その世界意識を言語と呼ぶ。
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