ベンボの手稿(Vat. lat. 3197, fol. 30v)には何度も書き直しが行われた形跡がある.
Pulsoni, C., 'Pietro Bembo e la tradizione della canzone «Drez et razo es qu'ieu ciant e·m demori»', in «Rivista di letteratura italiana» XI 1993: 283-304も参照(p. 288)
ベンボの手稿(Vat. lat. 3197, fol. 30v)には何度も書き直しが行われた形跡がある.
Pulsoni, C., 'Pietro Bembo e la tradizione della canzone «Drez et razo es qu'ieu ciant e·m demori»', in «Rivista di letteratura italiana» XI 1993: 283-304も参照(p. 288)
cladesの意味がよく判らなくなったのでErnout-Meilletの語源辞典を引くと,例外はあるものの一般的に言ってcaedesが能動的な意味なのに対してcladesは受動的であるように書いてあった(généralment au sens passif, tandis que caedēs a le sens actif; toutefois, quelques exceptions, surtout poétiques).
なるほど.
ルーカーヌス『内乱』1巻8行(Luc. 1. 8)のquae tanta licentia ferriという何とも訳しにくい表現が大西先生の邦訳では《かくも激しき,何という剣の暴戻》と見事に表現されていて感激した記憶があります.
licentiaは《積極的な自由》というよりも,ちょうど「免許license」が「本来禁止されていることが免じて許されている」ことであるように,《箍が外れて出来る,許可されている》という感じなので否定的なニュアンスを帯びるとこういう感じになるのだと.
一例にカエサル『内乱記』(Caes. Civ. 1. 21. 2)でコルフィニウムを攻略しようとするカエサルは,しかし夜間に占領することを避けるのだけれども,その理由が《兵の侵入と夜という時の放縦さによって町が掠奪されることを恐れた》(veritus ne militum introitu et nocturni temporis licentia oppidum diriperetur)ため,という箇所などが挙げられそう.
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κρᾶσιςが発生した場合に母音の上に打つ記号をκορωνίςという.
ἰστέον ὅτι ἡνίκα γίνεται κρᾶσις ἐν ἁρμογῇ δύο λέξεων, τίθεται κορωνίς· οἷον τὸ ἐμόν, τοὐμόν· τὰ ἐμὰ τἀμά· προέστη, προὔστη· πρόοπτον, προὖπτον· (EM.763.10-12) #gloss_gramm
この他に本や章の終わり・区切りにこのκορωνίςを打ったらしく,より一般的に広がって《終わり》の意味に使われる例がある.
ピロデーモスのエピグラム(試訳:https://www.stromateis.info/interpr/Philod/Philod_17.html )に出てくる用例は両者の中間的なケースで面白いかもしれない.
「両者の」というのは具体的な記号としての意味と,比喩的な「終わり」としての意味との.
人生を書物になぞらえるという珍しい比喩を持つこのエピグラムに出てくる単語とその解釈は,以前少し調べたことがある.
https://speakerdeck.com/ncrt035/lucretius-analogy-between-poem-and-universe-jpn-1?slide=51
「世界には始まりがあること,世界には終わりもあるであろうこと」ぱっと訳した訳文が随分調子に乗って聞こえるのでよく見たら後半が575だった.
どうにも何かしら専門家面したことをし始めると,自分のところに知見を求めてくる素人が,しかし社会の他の分野では何かの専門家であることを忘れて,不遜な態度をとろうとする気持ちの流れが生まれるのでよろしくない.
ルクレーティウス『事物の本性について』の6つある巻をどのような構成としてまとめるかは色々な考え方があるけれども,そのうちの一案として2巻ずつを3つのグループに分けるものがある.
そうすると,原子と空虚の性質を扱った1-2巻,魂の成り立ちや感覚理論,性愛について扱った3-4巻,世界の成り立ちや文明史,星々・天と地の様々な自然現象を扱った5-6巻という具合に,小さなものから大きなものへと順次進んで世界全体を叙述するような構成になっていると考えることができる.
今年のClassical World誌夏号にパスコリのCrepereia Tryphaenaに関する論文が載っていた.詩の背景や本文と訳があるので,読んでみるのに良さそう.
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む
Internet Archive(IA)と古書店のBetter World Booksが収集した未デジタル化資料のデジタル化に関し連携 | カレントアウェアネス・ポータル https://current.ndl.go.jp/node/39463
以前ルクレーティウス絡みで原書の一部を読んだことがあったが,Hadotのこの本が邦訳されるとは驚いた.
「「自然は隠れることを好む」。ヘラクレイトスの謎の箴言から、25世紀にわたる西洋世界の自然探究が始まる。慎しみ深く身を隠す女神の真の相貌をめぐって、古代哲学から中世の神秘主義、ルネサンス以降の機械論的世界観からゲーテ、ニーチェやハイデガー、そして現代科学にいたるまでの人間の知が繰り広げてきた思索の営みの物語。フーコーの信頼厚かったフランスの古典学者アド、初の邦訳」
イシスのヴェール | 法政大学出版局 http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01109-2.html
神戸・ユダヤ文化研究会なる団体が存在するのか…
第2回文化講座のご案内:「20世紀をユダヤ系思想家として生きること」 | 神戸・ユダヤ文化研究会 http://jjsk.jp/event/2019/11/07/1215/
必要があって幾つか雑誌の最新号を見ていたが,最近は著者のメールアドレスはもちろん,雑誌によっては論文ごとにDOIもきちんと付与されていたりする.
「モミッリャーノは大きく言って、歴史学およびフィロロジー(文献学・校訂学)における実証主義を批判する動向に属します。18世紀末から、歴史研究のターゲットとして「固い事実」に辿り着くということが浮上します。これとパラレルに、写本の伝承に関してはオリジナルな正しいテクストがある、という風に考えるわけですね。ところがモミッリャーノは、複雑で立体的に組み上がった社会的現実の長期的な変化こそがターゲットなのではないか、テクストには初めから異本が存在しており、どちらが正しいかではなく異本が存在すること自体が貴重な現実ではないか、という視点を持っていました。ただし彼の場合、構造主義や現象学といった実証主義批判の多様な陣営の中で、むしろ初期近代以前のイタリア人文主義に帰ろうとする側面があり、そのぶん堅固な基盤を持ち、理論的にはオープンです。これは、イタリアでは脈々と流れ続ける最高度の知識層が育んできたもので、その中からしか生まれなかった姿勢であると言えます」
木庭顕氏に聞く 立体的な思想史を描き出す - 木庭顕|論座 - 朝日新聞社の言論サイト https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019110500004.html?utm_source=twitter&utm_medium=webronza
今日の11時から
NHKドキュメンタリー - BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/1878344/
京都大学未来フォーラム(第76回)どうすれば幸福になれるか 哲学者・岸見 一郎氏(文学研究科 博士課程単位取得退学)
2019年12月11日 水曜日 18時30分~20時00分
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/social/events_news/office/soumu/shogai/event/2019/191211_1500.html
やる気がアなんで前言っていたソヴィエトにおける古典研究に関する論文を二本読んだ.とても面白かった.
前者は革命以前のロシアにおける古典の受容も含めて広く見ていて,後者はソ連の大学や研究所とそれぞれの研究教育上の特長をわかりやすくまとめている.
Graham, H. F. (1961) ‘The Classics in the Soviet Union’, The Classical World, 54(7), pp. 205–213. http://www.jstor.org/stable/4344571.
Takho-Godi, A. and Rosenberg, S. (1970) ‘Classical Studies in the Soviet Union’, Arethusa, 3(1), pp. 123–127. http://www.jstor.org/stable/26306998.
「分かった」とあるが本当なのか
官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否 | 共同通信 https://this.kiji.is/697913873506731105
11月16日発売予定
「……本書の特徴は、感情をめぐる社会構築主義と普遍主義という二つの考え方に正面から立ち向かう点だ。人間の感情は、人類学者たちが示してきたように、時代と地域と文化でそれぞれ異なる社会構築主義的なものなのか、それとも、脳科学者はじめ生命科学の領域で言われるように人類共通の普遍的なものなのか。著者はその二つの見方を架橋しながら、感情のあり方のグランドセオリーを展開し、歴史学における感情の扱い方の手法とその重要性を説く。哲学から図像分析まで、ジャンルを超えて縦横に論じる著者の叙述はじつに刺激的だ。」
感情史の始まり | みすず書房 https://www.msz.co.jp/book/detail/08953/
Ruby をひろゆきが作ったことになってる世界線,某先生の解説で発生した「ポリツィアーノがコンスタンティヌスの寄進状を論駁したことになってる世界線」に似たものを感じる.
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