16:13:25 @ncrt035@gnosia.info
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ところでShackleton Baileyの修正には同じ行のはじめのquodをquaeに変えることも含まれていてGooldのTeubner版はこれをそのまま受け入れている(あとutrisqueはutriusque).sed以下の大意は《しかし(白羊宮が)争いを起こすのは時の求めに応じて場合で稀,それらを勃発せしめるのはむしろ他の二つ(獅子宮と人馬宮)の獰猛さなのだ》ということになる.

quaeへの修正はprorumpereの主語となるものが欲しい気持ちからだろうが,それは文脈から補い得るものなので写本のままquodを理由の接続詞と解して《むしろ他の二つの獰猛さが(それらを)勃発せしめるから》ととって問題なさそうである.実際,Floresはprorumpereのみ採用してquodを保持している.

quaeへの変更の必要性をどのくらい感じるかについては英語とイタリア語という学者の母語の差が影響しているかもしれない.そしてラテン語の感覚としては後者の方が妥当に思われる……