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【BBC紀錄片《獵食者:日本流行音樂的秘密醜聞》】
youtube.com/watch?v=rmF6mDZjZZ

↑先月イギリスで放送された、ジャニーズJr.所属の少年たちに対しておこなわれていたとされる性搾取についてのドキュメンタリーが、BBC中国語版の公式チャンネルでまるっと全部公開されていた。原音のままで中国語字幕付き。

日本人サイド(顔出しして証言している元Jr.の人たちや、街角の声)が、そんなに声高に糾弾するような大層なことではない、という態度を見せるたびに、BBC側のレポーターが困惑した表情になり、ときには絶句したりもする「噛み合わなさ」が、居たたまれなくて。

一方で、ひとりだけ仮名でマスク着用したままインタビューに応じた人は、途中で涙が出て言葉に詰まったりしていて、現在でもすごいダメージになっているんだよね。水面下の、取材に応じなかった男性たちのなかには、やはりこういうケースがあるんじゃないのか。

昨日、被害者のひとりが顔と名前を出して記者会見をなさったので、話題が再燃していますね。とにかく、被害者の意思は尊重されたうえで、調査と報道と謝罪はなされるべきではと思います。

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私自身は、日本の芸能界情報全般に疎く、かつて週刊誌で報道されて裁判になったりしたというこの件についても知らずにいました。

ただ、ほかにずっと応援している芸能人がいる身として、こういう場合ファンはどう受け止めればってことを考えずにはいられない。

いま沈黙しているファンの気持ちも正直、分からないではないのです。推してる人の幸せを願えば願うほど、身動き取れない気持ちになるよね。奇異の目に、二次被害にさらされてほしくない。

あるいは、その「推し」が、番組に出てきた男性たちのように、そこまでダメージ受けてない、それよか特別扱いされてデビューできたことに感謝している、というスタンスかもしれないと考えると。発言しづらいよな……怒りや悲しみがあっても。

でもそれで、今後もなにがあろうとこの業界では闇に葬られて罰せられないという状況のままなのは絶対に駄目でしょう。

ファンや視聴者サイドができることとしては、なにがあろうと現在好きなタレントさんは支持し続ける、でも芸能事務所から報道機関への圧力には断固反対、という態度を示して、世論を形成していくくらいしかないのかなあ。

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ところで、本題とは関係ないんですけど、件のBBC番組を中文字幕で観ていると、どうやらジャニー/Johnny の漢字表記が「强尼(Jiàng ní)」なのに、ジャニーズは「杰尼斯(Jié ní sī)」なんだね。

John の一般的表記は「约翰(Yuē hàn)」なのにね。これはこれでちょっとびっくりするが。ドイツ語とかのヨハンに近い読みなのね。

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川森博司『ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内』(淡交社,2023年12月)

日本各地に伝わる「異類」との婚姻が含まれるさまざまな昔話を、相手が動物のもの、異界の住人(天人など)であるもの、異形(鬼など)であるもの、と3つのパターンに分け、時には海外の伝承や、近現代の創作物をも引き合いに出しながら解説している。

鶴のヨメ、猿のムコなどいろんな昔話があることをぼんやりとは認識していたけど、次々とこれだけ列挙されるとなかなか壮観。そして、やはりお隣の中国や韓国には、よく似た話があるんだなというのも、あらためて並べられると興味深い。またアイヌの民話が、むしろ中韓のものよりも、いわゆる和人とは違う文化圏のセンスを感じさせるのにも、なるほどなあ、と。

で、こういった、個人の意思で創作されたのではなく社会のなかで結果として残されてきた伝承は、現代的な価値観で表面的なディテールに基づいて好き嫌いを言うようなものではない、というのも、読む前から頭では分かっていたのです。

〔つづく〕

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〔つづき〕

でも結局、「女性側(人間でもそうでなくても)の負担のほうが大きい話、多すぎない!?」とか「都合のいい働きものの美女なら素性不明の押しかけ女房でも喜んで受け入れるくせに、約束したことを守れなかったりする人間男性、覚悟がなさすぎでは!?」とか、ついつい憤りが……。

異類婚が持続しない(異質なものの排除によって秩序が維持される)お話が日本では多いのにも、複雑な気持ちが湧きます。人と人でないものが幸せに添い遂げるお話も、ないではないのだけど。

そういった「もやもや」ポイントについてはしかし、本書でも明示的に俎上に載せられており、また最終章ではさらにさまざまな観点から、日本の異類婚姻譚についての総合的な分析と提言がおこなわれます。

雑なまとめになるけど、ここで示唆されているのは、われわれには異質なものへの対応やジェンダー観などにおいて、こういった文化的背景を擁してきた面があるんだと認識することで、現代に生きる者として意識的に、新たに違う局面へと踏み込んだ物語を創出し、現実世界でのスタンスにもフィードバックしていけるはず、ということではないかと。

〔了〕