イかせた後に「うまくイけて偉いね〜」ってよしよしするやつ好き。
月刊ニコニコインフォ 第32号 MC: 百花繚乱 https://youtube.com/live/OtwwpmdEaWU
やってるね
一応大学1年のときに多変量データ解析もやったけど、ちんぷんかんぷんだったしその後使う機会も無かった。
とはいえ、データサイエンスは割と適性ありそうな気はしなくもない。(謎の自信)
日本統計協会の統計学Ⅰが開講中で、Week1の課題締切が明日のようだから、ちょっと真面目にやってみるか。
gaccoの統計学・データサイエンス関連講座( https://gacco.org/course/?category=14&page=1 )は日本統計協会と総務省統計局と滋賀大学がそれぞれ開講してるから結構カオス。京大や立教もたまに開講する。
ZUNさんも(これって公式設定だっけ二次設定だっけ……?)とかあやふやになることあるのかな?流石に無い?
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ちゃんとしたソース知らないけど「永井豪の童貞を守る会」の逸話を思い出す https://misskey.io/notes/9udsp4as3a9t01z9
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自然に生まれた言葉をそのまま使おうとすると、道具としてうまく機能しないことはあるだろう。
そういう場合は「新しく言葉を作った上で道具としての定義を割り当てる」というのがやはり最初に検討すべき選択肢だと思う。
「私は仏教徒では無い」と自認している人を、「仏教的な価値観や行動様式を持っているから」というだけの理由で仏教徒と見なすのは果たして適切なんだろうか。倫理的にも、日本語的にも。
「要はヤンデレが好きなんでしょ?」と言われたら、まあそれもそうなんですけど。
超人的な能力を持ちながらも普段それをあまり感じさせないキャラが、えっち目的でその能力を行使してくるやつちょっと怖くて好き。
90年代辺りの青年漫画など(?)でたまにある、風景写真を背景として使う手法を見ると、「なんか微妙に他の部分と馴染んでないな……」という感想になることが多い。
めちゃくちゃ人付き合いの少ないミーだけど、国会議員に推したいレベルの知り合いは、まあ1人いる。1人だけ。
政治家とかいう人々はバイタリティだけは皆例外無く高いよなあ。そこは素直に凄い。ミーにとっては弱点だから余計にそう思う。
ただ、政治家の資質としてバイタリティがそこまで必要かと言われると、うーん……。
正直これ自体はそんなに興味深い話じゃなくて、「どうしてそういう人が選ばれてしまうのか」とか「選ばれた人の能力や善性を発揮させない環境的要因は何か」というのが論点になってくるんだと思いますが、あまりに念レスだったのでびっくりしてブーストしました。
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国会議員はしばしば貶されるけど、身近にいたら目に見えてわかるぐらいには突出した善性と能力を持ってる(あるいは政治家になる前は持ってた)人が大半なんじゃなかろうか。
でも、仮にそうだとしても、ひとつの分野のトップに選ばれる人間が「数千人に1人の逸材」じゃ全然物足りないよなあ。
ということをちょうど最近考えてた。
https://erscheinung47.com/@Erscheinung47/112592534301828558
スライド作成で求められる、「大きさ・形状の決まった領域にうまく情報を配置するスキル」を使う機会が他に無い人は結構多そう……。
ミーもその口で、しかも不得手だし、楽しくも無いし、読む側としてもWebページみたいな可変レイアウトの方が好きだし、あんまり良い思い出が無い。
「責任」を生み出すのは他人かもしれないが、「責任感」を生み出すのは最終的にはそれを感じる本人に他ならない。
どれだけ重責負わされても気楽なこともあれば、周囲からは何も期待されてないのにプレッシャーに押しつぶされそうになることもある。
自由というのは、裏を返せば「どう行動するか自分の意志で選択しなければならない」ということだから、それ自体都合の良いだけのものでは無いのだよね。
他者やコンピュータ、システムに意思決定が委託される光景に遭遇すると複雑な気持ちになるが、それもまた合理かもしれない。