神さまみたいに崇拝していた人も人間だと気づく瞬間のことを”堕天”と呼ぶオタク
ギノジはさあ〜〜〜……結局、他人もまた人であり、己もまた人であることを知覚した方がいいと思うんだよな……
第3巻で酸素と向き合うギノジのこと考えてなんか胸がいっぱいになっちゃって食事も喉を通らないよ……そんなこともないけど……
酸素割とお節介焼きというか忠告したがりというか
なんか選択できることがあるならあらかじめ提示しておく派?なの?
「そうなると運命の流れ的に良いから」とかの感じもしないんだよな なんとなく忠告するの癖になってるみたいな
結構お喋りというか……喋るときはとことん喋るというか……そういうとこが口下手だと思われるのかもしれませんね……(ヴァルプ談)
私の中で”善良さ”という尺度への解釈がすげーめんどくさいせいで会話に齟齬が出た 善良さは心意気だと思っています
もちろんそれを行動に移せたらとてもえらいけど、まず善良でありたい心が善良さを形作っているから、良い行動が善良である証にはならない的な……
酸素は結果的に優しく見える行動もするし実際優しさを持っているかもしれないが、優しさと善良さもまた微妙に違った概念だと思ってるんだよな……
ギノジとか舞阪さんも善良ではなくて、でも優しいとこもたまにはある みたいな感じ 善良は心意気であり、かなり倫理というか社会的な精神性を指していて、そこの理から外れた者は善良さを捨てるか最初から得ないかだと思っている感じ?
長谷酸って多分もう酸素の”堕天”を通り過ぎてるから、改めて”堕天”ができるギノ酸 新鮮