若者の梅干し離れという話題になんかめっちゃスーパーのはちみつ梅干しみたいなのをディスりながら「やっぱり純粋な梅干しが一番!」と言ってる人がいっぱいいるので嫌~なのと思う
若者の梅干し離れという話題になんかめっちゃスーパーのはちみつ梅干しみたいなのをディスりながら「やっぱり純粋な梅干しが一番!」と言ってる人がいっぱいいるので嫌~なのと思う
はちみつ梅もうまいだろ 純粋梅の方が普通に酸っぱくてとっつきづらい(消費者が増えない)と思うけど……
嗜好品満足に買えない経済状況なのに実際どの商品が売れてるかの実態もわからない企業側ばっか責めてなんになるのよ
梅干しが高い上にご飯のお供的商品っていっぱい売られてるから優先度下がるのも納得ではある 元々万人受けしない味だし
「キャラ萌えは低俗」みたいな価値観がにじみ出てるの嫌だな~~~今日は嫌なものをいっぱい見る日!
個性的なキャラクターを作ってる作品に対して「キャラ萌えなんてライト層」とか言うてたらどうすりゃええねんとなるだろ ストーリー重視があってもいいけどキャラ萌えも正当な楽しみ方じゃないのか
多分典型的に理論とかが最強で根拠のない感情論はそれより低みにある、みたいな感じがあるっぽいんだけど(著書がそんな感じ)、エンタメ作品で感情を置いてけぼりにばっかりしてたらそっちの方が怖くないか いや悪いとは言わんけども
少数派だからといって肩身を狭くして生きろとも言わんけどそんな攻撃的になるほど理論を蔑ろにされた経験とかがあるんだろうか……
うちのシンクがちょっと低いのか普通に水を出すと打点が高いせいでビチャビチャ飛び散るのが地味に嫌なのでシャワーヘッドでどうにかしたい
あとは花の塔、JOINT、飴玉の唄など(わかりやすいねェ!!!)
https://youtu.be/WIKKyrGGaDk
https://youtu.be/NFVszxIykGI
https://youtu.be/MnioFxM5Vu4
最悪死別とか行き先が分かれても良くて、心の中にずっときらめく光として”君”の存在があってほしい、みたいな嗜好
”永遠性”以外に”真実”はないのか、みたいなことをよく考えるんだけど自分自身が一番永遠性を求めている どうして人は永遠を求めるのか
結局俺だって永遠に続かないものは本物じゃないって思っているのか……一瞬のきらめきに価値を見いだせないのか……虚しい……
永遠性を求める根幹が実はわからない 子供の頃身近な人間の死が異常に怖かったけどそれなのか?
でもフィクションにおいて求める永遠性は心の指針の部分だけな気がするから、その指針とする何かがブレることが嫌なのか?
「辛い思いをしたキャラが愛されて癒される」のような二次創作ばかり欲していた気がする そういった救済の概念と永遠にきらめく光の概念がイメソンでは被りやすく、イメソンを当てはめていく内にそちらの嗜好に寄っていったみたいなところがある?
あと上遠野作品というか酸素に傾倒したのも大きな転換点では在るんだろうな 酸素には明確にこの人が酸素の辛い人生を救いました!みたいなのがないから、ではどこに嗜好を見出していくか、っていう風によりしっかり考えていくことになる
というかオタク最初の方では単にツンデレとか堅物の奴が可愛くなるギャップが好きだっただけで、救済概念も意識してなかったな
アーチャーとか御剣怜侍が救済概念の転換点になっていたと思う
ハマったキャラごとに先鋭化していく嗜好
永遠性を意識しはじめたのって「なんか私って昔なじみとか幼なじみ概念が妙に好きだな……」と気づいてからな気がする 一生一緒にいてくれや
なんか「この二人なら何があっても大丈夫」という安心を得たい気持ちかもしれない
心が離れていくかもしれない、危ういかもしれない、みたいなハラハラを味わいたくなくて、安全でいたいのか?
心が離れていくのが辛いから永遠を強く信じられる二人を求めている ちいかわとハチワレにも同じ気持ちを抱いています
私も最初からツーカーじゃなくてライバル関係→わかり合い関係かもしくはそういう衝突とかも色々あったんだろうな~~~の強度を感じる二人がちかも
そのおそらく公式で描かれない色々あったんだろうな~~~にサグラダ・ファミリアを建ててはしゃぐオタク ずっとそう……
このように二人には苦難があり、衝突があり、大変なことを乗り越えてこんな風になったんだな……フフ……とほくそ笑む
苦難を一緒に乗り越えた(あるいはその形跡を感じる)末の強度の二人か、ずっと平熱みたいに隣にいるのが好きかも 永遠性の説得力の材料って感じがあるな
プロフに好きCPまとめてると自分の過去を振り返れるから便利だな 牧宮とか王獄とか秀ジンはなんの永遠性もなく最早最初から詰んでいるので最初から詰んでいるのも好きなのかもしれない
これも負の感情の永遠性と唯一性の発露と言えるのかも 現に赤井秀一にどんどん設定が足されて唯一性がブレてからはコミュ抜けますって感じで原作のこと追ってないしな
上遠野作品の次くらいに逆転裁判の影響が強いから「互いに全力で言葉を戦わせながらも強く信頼している」という二人にも弱い
そういえば他の嗜好として「ちょっとした神様みたいに思っていた兄や姉の弱くて狡い部分を知って、初めての喧嘩をしてボロボロになりながら心理的距離を近づける」というものもあり、これもまた永遠性の説得力に寄与するものかもしれない
盲目的な状態をいっぺんフラットにしてお互いそれを受け入れてください、はいどうぞ!っていう感じ
「俺だけが知っているアイツの弱いところ」概念も好きなので、すでに許容している場所が増えるほど強度を増す、と思っているのかな
結局アンビリーバーズなんじゃない!?すべて受け止めて一緒に笑おうぜ 米津玄師はオタクのすべての概念を歌っている
その「何があっても」の説得力を補強するために喧嘩や対立があって、そんなに色々あっても一緒にいるんだね~~~を感じたい
その使命や背負っているものから誰の心も得ようとしない(できない)推しの印象が強烈だからこそ、得ようとしなくても勝手に着いてくるような存在があってほしい、離れたりいなくなってしまうんじゃないかと怯えず背中を預ける存在がいてほしいという気持ち?
だから原初の動機は「推しの止まり木がほしい」みたいな感じかもしれなくて、それにあてがわれるキャラにとっては誠実さなど欠片もないのかもしれない
うらっつのオフ着、オーバーサイズのロンT にブカブカのアウターで萌え袖して顔隠し用のキャップを被りつつマスクを下に下げながらピースしてるオフショがインスタに上がるので、「かわいい~」と言われる
うらっつのファンはうらっつの事務所の中でもお行儀が良い方でちょっと自治厨もいる感じだし、池ヶ谷守雄のファンは大体池ヶ谷守雄への心理的距離がバグっており、「君はもっとこうした方がいい」みたいなことを面と向かって言ってくる
小説のあらすじの話があって、私も長くなればなるほど何言ってるかわかんないんじゃないかな……という不安がデカくなるのであらすじ書いて整理しようかなあと思うなど