一眼見てわかる受益者が、国の意思決定メンバーに平然と入るようになっちゃったのって、いつくらいからだろう?小泉政権あたり?
昔はもう少し、客観性や公平性を配慮してる「フリ」くらいはしてたと記憶してるんだけどなあ。 https://x.com/333mimina/status/1814613194490401014
一眼見てわかる受益者が、国の意思決定メンバーに平然と入るようになっちゃったのって、いつくらいからだろう?小泉政権あたり?
昔はもう少し、客観性や公平性を配慮してる「フリ」くらいはしてたと記憶してるんだけどなあ。 https://x.com/333mimina/status/1814613194490401014
「フェミニズムvsトランスジェンダリズム」という切り口は間違っている。トランスジェンダーにとってもフェミニズムは重要な思想。「トランスジェンダリズム」というラベリングはヘイターの価値観に依存して不適切。
フェミニズム vs トランスジェンダリズム
現状、「トランスジェンダリズム」という言葉は、トランスジェンダーという実存を「イデオロギーに過ぎない」と矮小化するための言説として流通するものとなっていて、トランスジェンダーやそのアライを代表する言葉とは到底言えない。
つまり「フェミニズムvsトランスジェンダリズム」というラベルは、フェミニズムについてもトランスジェンダーについても、間違ったイメージの拡散であって、とてもよくない。
あの分科会などは日本女性学会の不手際だし、フェミニストを名乗る人たちの中に極めて差別的な人間が含まれているのは事実だけれども、あの事件をフェミニズム攻撃の手段とするようでは話にならない。
あの日本女性学会の分科会のヘイト仕草を「日本フェミニズムの到達点」とか言っている声があるようだが、ああいう醜悪な人物がフェミニズムの学会にいることは事実であっても、フェミニズムの到達点がそこであるというのは到底言えない。
不安や懸念点を少しずつクリアしながら、トランス女性の入学の受け入れを進めてきている日本の女子大の取り組みの方が、フェミニズムの到達点として評価するのに相応しい。
2022年の記事。
こういう実践がすでに社会に存在している状況を振り返れば、日本女性学会の例の分科会が露骨な「反動」であったことが明確になるのではないかと思う。
キャンパる:女子大で広がるトランスジェンダー女性の受け入れ その思いは | 毎日新聞
言えることは多くない。
トランスではない私であっても、あの場で起きた嘲笑、侮辱はマイクを握る手が震え、声が震えるのを抑えるのが大変なくらいに、「恐怖」だった。
それでも言わなければと思った。
辛いのは、私じゃないはずだ、と思ったから。
私がトランスの性被害の実情を伝えたのが偉そうに聞こえたのだとしたら、あんな最低限のデータさえ議論の端にすら置いていただけないような場で、学問などしようがないだろうと思う。
実際、あの場で何も言わなければ、反対意見もなくシンポジウムは大成功だった、と言われたでしょう。
だから言いました。反対意見は出たという当たり前の事実を残すべきだと思いました。運営が何もしないつもりなのだと分かったので。
ちな、学会幹事のなかで、この問題について、意見交換を続け、頑張って動き続けてくれているメンバーはいます。Xで名前が出て来てる人だけではないです。少数の意見、当事者たちの声、行動、想いを学び続けてきたのが、フェミニズムだと思っています。諦めないでいたいです。
あと確実に、「笑いが漏れた」とかのレベルじゃないです。漏れた、じゃなく、沢山の方がよく笑ってらっしゃいました。「トランス女性を女だと思ってる人はいるのか」という発言に対し。
差別じゃなくて、なんなんですか。
たくさんの顔が思い浮かんで、耐えられませんでした。