RT:QueerAmoeba(faqt2402.bsky.social)
『世界』7月号の井谷さんの論考、現在の合衆国のスポーツ界におけるトランス排除の背後にいる保守系団体を名指したうえで、そのような動きが女性差別である所以を列挙し、最後にバトラーを引用したりインターセクショナリティの重要性を説いたりと、短い紙幅に重要論点もりもりセットだから必読よー
www.iwanami.co.jp/book/b648209...
RT:QueerAmoeba(faqt2402.bsky.social)
『世界』7月号の井谷さんの論考、現在の合衆国のスポーツ界におけるトランス排除の背後にいる保守系団体を名指したうえで、そのような動きが女性差別である所以を列挙し、最後にバトラーを引用したりインターセクショナリティの重要性を説いたりと、短い紙幅に重要論点もりもりセットだから必読よー
www.iwanami.co.jp/book/b648209...
不誠実な政権運営とか一部企業への利益誘導とかマイノリティへの差別的な政策とかは、選挙の選択の理由にはならないと言うのが日本の今の状況なんだろうな。「知らない」せいなのか「知っていて問題視しない」せいなのかはよくわからないが。
ここで少し気になっているのは、SNSがもう昔のSNSではない点。全てがアルゴリズムで「同じクラスタの人を追う」ことに最適化されてる
双方向性はむしろ低下していて、窓の外に頭を出して違う世界を見るのがとても大変で面倒になっている https://x.com/shigekixs/status/1809914379925905620
左派のスタート地点が「普通の人」から「嫌われている」というのは、現実問題その通りなのだろう。
そういう価値観が半ば常識化している。
今日、50代男性営業の人と世間話をしていた時に「蓮舫が3位で良かった、石丸すごかった」と笑顔で言われて面食らったのだが、そう思う具体的な理由があるというわけではないようだった。「普通そういうものだ」という肌感覚でそう評価した感じだった。
RE: https://mstdn.jp/users/salaii/statuses/112748267254109161
マイノリティの問題についての政治を考える時って、そこは基本的に「社会の大多数から薄ら嫌われている」というスタート地点からの議論になる。
嫌われないように振る舞おう、とする必要はないと思うけれども、自分たちを嫌っている人と対話しなければならない、という覚悟は必要になる。
理で人はなかなか動かないから、平等や人権という理詰めの議論というのはなかなか届きにくくて、相手の感情に働きかけるように、ご機嫌を伺ったりあるいは怒りを焚き付けながら「対話」をするように動かざるを得なくなることがしばしばあるわけだ。
一方でそういう「感情」を重視するありようは極めて保守的な価値観であり、「好かれない人物は不利益を食らっても構わない」という世界に直結している。
サイエンスコミュニケーションって、もっぱら自然科学分野を対象とした科学リテラシーの問題として捉えられているけれども、社会科学や人文科学を対象としたサイエンスコミュニケーションというのがもっと必要なのではないかと思う。
母語で書かれているからと言って、社会科学や人文科学のテキストを非専門家が適切に読めるわけではない。
社会科学者や人文科学者が書く一般向けの書籍自体が、そもそもその社会科学・人文科学におけるサイエンスコミュニケーションの実践なのではあろう。でもその書籍を適切に読み解く能力は、学者が想定しているほどには社会に定着していないのではなかろうか。
性的マイノリティにしても色覚多様性にしても、クラスや職場・取引先にいるだろうという前提で運営されなければいけないよね。
性的少数者は周囲にいない? 研究でわかった思い込み、確率を過小視:朝日新聞デジタル