これは20代の頃に考えていたことです。
若者の礼儀があるとしたら、それは年長者に「このままでは(こんなすごい若者が現れるようでは)自分たちの足元が危ういかもしれない」と思わせてひやりとさせることで、年長者の礼儀は若者に「どうだ、追いつけまい」ときっちり背中を見せつけることではないか、と。
私も生意気なこと考えてたなーと懐かしく思いますが、そういうことをしてみたいとも今思います。
手工芸と文章を書くことが大好きです。小さなものは豆本から、大きなものは机と本棚まで、いろんなものを作ってきました。
I love writing and handicrafts, so I have made many things, small ones are miniature books, larger ones are a desk and a bookshelf.
I love : coffee or tea time, reading books, book binding, miniature books, sewing, knitting, nature watching, drawing, painting, friends, and family.
I believe : We could live in better world.
これは20代の頃に考えていたことです。
若者の礼儀があるとしたら、それは年長者に「このままでは(こんなすごい若者が現れるようでは)自分たちの足元が危ういかもしれない」と思わせてひやりとさせることで、年長者の礼儀は若者に「どうだ、追いつけまい」ときっちり背中を見せつけることではないか、と。
私も生意気なこと考えてたなーと懐かしく思いますが、そういうことをしてみたいとも今思います。
時々言いますが私はヴィーガンになりたいフレキシタリアンです。
配信の中で料理したジビエを食べていたけど、私としては、森林や山が近い地域で、増えすぎる野生の動物(害獣とは言いたくない)を減らすために猟をして、その動物の身体(命)を無駄にしないために人間が食べる、という行為は、供養でもあるのだろう、という観点から、否定はしません。美食やゲームのために猟をする、ということなら「やめてくれ!」と言いたいですが。
https://www.youtube.com/live/bbXZN_JQFeo?si=SM-eV_vhT64yMXNp
それで、森林や山地でたとえば鹿が増えすぎて土地(植生)を荒らす、といった問題は、そもそもは人間がニホンオオカミを滅ぼしたことも一因だと考えています。
「たとえば恋人や友だちとは、巡り合って、互いに接近して、同じ時をしばらく過ごし、ふたたび遠くへ去ってしまう旅人だ。」
『毎日が旅じたく』津田晴美著、202ページより。
とてもすてきな友だちとの別れが今日ありました。私の力ではどうしようもない理由で。一緒に何か(本とか)作りたかったな。
苦くて悲しい気持ちでいっぱいです。
「○○(誰でも見られるSNSなので伏せる)って怖いよね」とはまたストレートな……ちょっとあっけにとられた。
いい大人があんなに飲んで、ちょっと据わった目で、あれだけ鋭い切れ味の話をする(でもまだ言ってないことがあるらしい)ことに、凄みを感じた。
豆本づくりの工程で、本で紹介されている方法が頭で考えると「おかしい。それ無理」だった。それで別の本のやり方でやっていたけど、ちょっとうまくいかない。そこで、おかしいと思っていたその方法でやってみたら、作っている途中でニヤニヤタイムが始まってしまうほどうまくいった。赤井都さんはすごい……。(別の本で、やっぱりそれはおかしい、というか、私ならそうはしない、という個所があるけど。)
今日参考にしたのはこの本です。
「真実は猛毒なるか」って詠んだら、今の人は「真実は猛毒になるのか」って受け取るのかな?(「情けは人のためならず」方式)って私も今の人だけど。
おっと、コンクールの規定があるから、短歌はもう載せないんだった。下の句までできているけどね!(鼻息)
誰からも見えるのがwww(ウェブサイト)のいいところ(危険でもあるけど)
(IT老人会)
@agatehill66 古語辞典は電子辞書に入っているものを使っているのですが(引いた言葉の前後の言葉を見るのも楽しみ)、細かい活用や意味がもっと知りたくなって、参考書を買うことにしました。大きい本屋さんに行って、じっくり選ぼうと思います。
叩く裏打ちと叩かない裏打ちっていうのがあってね(ダンスミュージックじゃなくて手製本の話)
「エルニーニョ」は前のトゥートの後2~3回買いました。ちょっと気分を変えたくなったのと、「デカフェなら紅茶じゃなくてもいいじゃないか」ということにルピシアの通販サイトで香りつきルイボスティーを勧められて気づき、いろいろ試してみようと思っています。
左の「ラヴィアンローズ」は茶葉の状態での香りはソルティライチだけど、淹れると爽やかな酸味のお茶(ハイビスカスとローズヒップが入っている)。
今日買ってきた「ヤミー」はイチゴとバニラのフレーバー。子どもちゃん向け?とも一瞬思いましたが、大人が飲んでも充分美味しい。まあ私は「植物生まれのプッチンプリン」を心のオアシスにしている味覚の持ち主なので、その辺を考慮してお読みいただいてもいいかも。
梅を観に行きたいし図書館に調べ物にも行きたいし、もちろん服も縫いたい。土日は綿密に計画して遊び倒すぞ!でもその前に、4月のイベントの準備の計画をびしっと立てて、遊ぶ日は堂々と遊ぶのだ~!今日は計画を立てよう! とか夕食後に思ってたら、もうこんな時間…。
われは甘党(I, sweet tooth)とかってふざけてたこともありますが、甘党はやめようかなあ、とも思っています。
おはようございます🌞ちょっと朝寝坊→軽い頭痛→まずはお洗濯、からの休日スタートです!
フレバードティーでいちばん好きなのはこれ。ベースのお茶も美味しいし、ワイルドで優雅なミントの香りがたまらない。(たぶん香料は使っていない。)
カフェインに弱くなって、夜に紅茶を飲むのをやめてから買い足してないけど、朝に飲むためにまた買おうかなぁ…。
すごく悲しいので、半ばむきになって手を動かしています。集中して、作業して、その間は忘れられるけど、手を止めると辛くなる。いいんだ作れるものは作る!!
悲しみの鎮め方があればいいのに。作業が雑にならないように、手を切ったりしないようには気をつけます。
結論、休日返上?
そんなのは嫌だー!仕込むところは仕込んでおいて、糊や水が乾くまでの間、遊ぶのだー!!って思ってたけど、その仕込んでおくところがたくさんあって終わらない…😵
でも、大人の頭で(心理学の「交流分析」で言う「成人」で)考えるなら、同じ時間はニ度訪れない。あんないいお店でイベントができるのはすばらしい機会。楽しい一日になるように、最善を尽くしたい、と思う。
で終わればいい話だけど、問題はイベントと関係ない本を今作っていること!広い意味では関係あるけど…。頼まれ物(つまりお仕事)が重なって、渡す順番を考えるとこうなってしまった。
息抜きに、最近買ったアシッドフリーの接着剤と糊をお目にかけます。
上から:
緑色のキャップの糊は強力接着・仮止めの両方ができるというもの。ネットで検索して見つけた製品が、文房具店の店頭にあって、喜んで買ったものの、「紙の接着」向けみたいで(布が貼れるとは書いていない)使い道に困っている。
白い容器のボンドはまるみず組から取り寄せたもの。これをメインに使いたいなと思って今使い勝手を研究というか、使い慣れようと思ってがんばってます。
黄色い容器はでんぷん糊のフエキ糊。近くの文房具店で買えるのがありがたくて、2本ストックした。
久保田利伸さんの「United Flow」ってアルバムがあって、私が久保田利伸さんの作品の中で唯一持ってるアルバムです。「Respect (this and that)」という、私が思うところの「ポップスの仕事(新しく深い哲学を軽々と楽しく伝える)」を十全に成した名曲が入ってます。「Candy Rain」も良い💕
このアルバムは2002年リリースで、つまり9.11の後に、というか9.11とその後の世界情勢を受けて制作されています。
暖かく優しいラブソングが多く収録されています。リリース時のインタビューで、「(恋愛で)人と人が分かり合うことと、国と国が分かり合うことは同じなんじゃないかと思った」と言っていたことが私の心に残っています。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/ToshinobuKubota/discography/SRCL-5320
アフター9.11の楽曲といえば、宇多田ヒカルさんの「traveling」だろうな、とは思う。とっても古典な比喩(知らない方のために伏せます)を使った、悲しくて必死なポップチューン。
悲しくて必死な、というところがぴったりはまって、私が『大きな大きな本の話』を書いていたときは、アルバム「DEEP RIVER」を聴いていました。
@agatehill66 大久保さんが舐められやすい!?びっくりです!書いていらっしゃるものを拝読すると、聡明で思慮深く観察力に優れた方だ、と私は思う(他の方もそう思うのではないか)のですが…。
9.11と言えば、当日だったか前日に(あまりのショックで記憶があやふやになっている)、当時大好きだったラジオ番組のパーソナリティと、「スティングのEnglish man in New Yorkいいよね!あのソプラノサックスのイントロでご飯3杯いけるよね!」って話で盛り上がって、めちゃくちゃ幸せでした。その直後にあの事件で、私は心のどこかで「私(たち)のせいではないか」「私が幸せになったから酷いことが起きたのではないか」と思って、とても怖くなりました。
…という話をそのパーソナリティにできたら良かったのかもと今思うのですが、あまりの恐怖でそれはできなかったのです。
今なら言える、私たちのせいではない。