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夏目漱石「吾輩は猫である」をナイトキャップがわりに読んでいるのだけれど、面白いですね。
中学生の時に読んで以来だから、半世紀以上経っての再読です。
澱みなく流れるレトリカルな地の文章が心地良い。読んでいる者が頭の働きが良くなったような気がする文体ですよね。思考のリズムが気持ち良いから、無理なく付いて行ける。
中学生の時も、はっきりと意識はしなかったけれど、この文体に惹かれたのだと思う。
今の私がもう一つ面白いと思うのは、漱石が猫に語らせることによって自分の中のネガティブな情動を理性による掣肘から解放して自由に発動させているように見えることです。
例えば、昨日読んだ所の、猫の運動の話。蟷螂狩りのくだりなど、かなりエグい嗜虐性が語られていて、猫の話だから何となく受け入れることが出来るけれど、これが人間の話だったら顔を背けるよなぁと思う内容です。
あと、庶民への共感の薄さも至るところで目に付く。これは教養の無い人一般に対する嫌悪の現れだと思うけれど。
中学生の時は旺文社の文庫本で「吾輩は猫である」を読んだのだった。
これでもか、と言うぐらい大量の振仮名と註釈が付いていた。しかも註釈は巻末ではなくてページ内の余白に書かれていたから、中学生でも明治の文豪の文章を投げ出すことなく読み進めることが出来た。
さすが受験生御用達の出版社だと思ったが、非常に感謝している。ラッキーだった。
現在は老眼に優しい電子書籍で読んでいる。
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人口はもっともっと少なくなる方が良いんじゃないかと思う所がある。老荘の小国寡民が良いよね、と。
人口が少なければ、必要なエネルギーも食糧も少なくなって、環境負荷も小さくなる。
深沢七郎の「楢山節考」「東北の神武たち」のような小説の舞台は、土地が養い得る以上の人口をもつ社会、というものでしょう?そこでは人減らしや産児制限が必要になる。ある年齢に達した人に死んでもらうとか、次男坊以下は結婚させずに農奴扱いするとか。
深沢は避妊による産児制限運動の話を聞いて大いに賛意を表したそうだ。
だから、非人間的な方法(例えば戦争や飢饉)ではなく人口を減らす方法があれば、それがもっとも望ましいのではないかと思う。
他方で、それはなかなか困難なことだろうとも思う。社会において急激な人口減少が非常な軋轢を生むということは多くの人が指摘している所だ。中山間の農村に暮らす私も、人口減少とそれと同時に進む相対的な老齢人口増加がコミュニティを掘り崩していく様子を眺めながら、これでは人口減少よりも生産力減退の速度が大きくて、加速度的に貧困化が進行し、どうにもこうにもならん有様で社会が崩壊するぞと思う。
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@Shinh_Y 脳内仮想デスクトップをスッキリさせておくために忘れる事は必要なんですよね。忘れるためのメモ。なんだけれど、それも忘れるから厄介ですわ。
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屑米を田圃の畔に撒いておいたら、烏がやって来た。
右手前、鳩も一羽来た。
右奥、土が出ている所は、軽トラックをスタックさせた跡。
一ヶ月刈らなかったら、周辺の草が大変なことになってる。ただ今休憩中。