あと、単に個人がバラバラになればいいわけじゃないですからね。それこそ「バラバラでちっぽけな力しかない個人」VS 最大の権力の塊の国家なんて、勝敗明らかでしょ。それは独裁になる。だから中間団体がすごく大事になる。それと宗教。
あと、単に個人がバラバラになればいいわけじゃないですからね。それこそ「バラバラでちっぽけな力しかない個人」VS 最大の権力の塊の国家なんて、勝敗明らかでしょ。それは独裁になる。だから中間団体がすごく大事になる。それと宗教。
ここ二三日まったくやる気が出て来ず、だらだらと寝て過ごしている。
暑さと野良仕事アルバイトの疲れなのだろう、胃腸の働きがいまいち良くなく、いつものような快い排便が出来ていない。(尾籠な話でごめんね)
政治家がああ言ったこう言ったという話に対する鬱積も確実に積み重なって気分を重くしている。「汚染水」って言うなって、何やねんそれ。
古本屋で何かの全集の石川淳の巻を買ってきて読もうとしたのはかれこれ2年前だと思うが、その字の小ささに負けて挫折していた。老眼鏡どころか、ルーペを使ってやっと読めるほどに、眼が衰えているのだ。
それで、Kindle 用の端末として iPad Pro 11 inch をYくん(孝行息子)から貰ったのを機に、もう一度、Kindle 本で石川淳を読んでいる。
やっぱり、フォント・サイズを自由に変更出来るというのは有難い。これなら、楽に読める。
おまけに、Kくん(放蕩息子)から貰った iPad 用アーム・スタンドがあるので、ベッドに寝転がっていても、手で端末を支えることなく読書が出来る。極楽だな。
しかし、石川淳の本、Kindle 本だと新字新仮名しか無いんだよね。旧字旧仮名で読みたいんだけれど。
私は青年時代のある時期、正字歴史的假名遣ひで文章を書いてゐた。丸谷才一の影響が大きかつたかな。石川淳もその縁で割とよく讀んだ。
若い私に石川淳は面白かつたか?
初期の諸作は、自分に教養が足りないのか、あんまりよく分らなかつた。分らないが面白いのであらうと無理に有難がつてゐた節もある。中期以降の小説は面白かつた。そのスピード感が好きだつた。
そんな譯で、石川淳をもう一度讀んでみようと思つた次第である。(丸谷才一はもういいわ)
ところで、丸谷才一は第二次大戰後の國語改革で採用された漢字の略字體も現代假名遣ひも、それ以前の漢字や日本語が持ってゐた體系的な合理性を毀損するものだと言つたが、それは全くその通りだと思つた。今も變わらずにさうだと思つてゐるが、今の私は普段は新字新假名で文章を書く。それは、言葉といふものの性質上、世の大勢に合はさなければ用を達しにくいと思ふからだ。
ああ、「處理水」「汚染水」の事がまた意識に登つて來た。「汚染水」つて言ふな、だつてよ。
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