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昔、ピーターバラカンがどこかで「プリンスの音楽は認めるしかないが、あの下劣すぎる歌詞は絶対に許容できない」「日本語話者にはあの下品さが理解されてないのでは」と言っていて、それ以来、プリンスの下品さがとにかくマックスになるように、脳内で日本語を選ぶようにしてる。それと、どこかでプリンスが靖幸ちゃんに聞こえないとウソなので、そういうことも意識してしまってる。
下品、というのもそうだけど、プリンスの「キモさ」は和訳するなら絶対に伝えたい。どこまでもキモい。イタい。でも、そのイタい、キモいが「だからいい」であり「絶対に認められない」なのだよな。
昔、山口百恵が「美サイレント」で
あなたの××××がほしいのです
って歌ってて。いや、×のとこは「ふせられてる」のではなく、音を発さず唇だけ動かすという歌唱なのだけど、プリンスのこの曲を聴くといつも山口百恵のこの伝説の歌唱を思い出す。
思えば山口百恵も大層下品で、百恵の場合は下品であればあるほど、そこに現れる「品のよさ」がどこまでも「そそる」。
もちろん自分はプリンスや百恵のような「気持ち悪いの気持ちよさ」「下品にみなぎる品のよさ」「ただ下劣なだけが持つただの下劣の下劣さ」などが大好きだ。
プリンス面白いですね。
私はほとんど聞いたことがなくて。山口百恵も耳に入らなかったけれど、たぶん同じ理由で、ヤバさを感じて無意識に避けていたのだと思う。
阿木燿子。性格悪いわ(褒めてる)
「数十年に一度」の大雨、洪水、土砂災害が毎年のように発生するようになったのだから、国政レベルで予算配分を考え直すべきだよね。国土交通省にもっと金を渡しても良いんじゃないの。
スローガンを考えた。
「銃器より重機を」
「戦車よりパワーショベルを」
「竹槍は要らん。チェーンソーをくれ」
「今こそ土建屋に甘い汁を吸わせてやれ」
山下達郎の「作品に罪はない」と前半で言っておきながら後半で「この様な私の姿勢をですね『忖度』あるいは『長いものに巻かれている』と、その様に解釈されるのであれば、それでもかまいません。きっとそういう方々には、私の音楽は不要でしょう」と言っているのは矛盾だろう、って意見をいくつも見たのだけど、別に①達郎は作品と作家の倫理性は別と考えていることと、②忖度だと考えるような人は、おそらくは「別」とは考えていないだろうから、私の音楽は「きっと」不要だろうってことは、別に何も矛盾しないでしょ。
達郎っていかにもドメスティックな夜郎自大なところがこれまた苦手で。そんなに言うなら海外進出とかも考えればいいけれど、そうじゃない。結局日本の市場でどうやるかみたいなところでやってる人なので。とはいえ、桑田佳祐みたいに「日本語がわかってよかったあああ」「日本のドメスティックが理解できてよかったああ」って思わせてもくれない。大瀧詠一ほどギャグセンスもお遊びセンスもないので、自分にはどうしても退屈に感じちゃう。
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SNSを「ソーシャルネットワーキング」と見た場合、問題はそこでの「ネットワーキング」を何だと考えるかによる。いわゆる「人脈構築」とか「ソーシャルグラフ」「拡散力」「アルファ」のような意味で行くなら、基本Meta系サービスでよいのではないかと……。Twitterでもバズれはするけれど、根本のユーザー数が少ないし、将来性ないでしょう。
でも、Twitterを熱心にやってるような人は、元は本当は、昔だったら「ミニコミ」作ってたり、サブカル追っかけてたような人で。そういう人がメインカルチャーでは流通しない言葉を放ち、それによって「世の中から疎外されてる気がするこんな自分のための居場所、出会い」を探してた感じでしょ。途中からあまりにTwitterがデカくなってしまい変わってしまったけれども。
自分は別にたくさんの人にバズったり、人に影響力を与えたりにハナから興味なかったんだよね。だからなーんもおもんない人らに何千何万いいねされたり、拡散されるよりも、おもしろい少数の人から「森さん、いっつも投稿おもろいっすよね!」って思ってもらえたらいいし、そこから友達作っていければそれでいいやってなった。
山下達郎はクリスマスの季節に嫌でも耳に入ってくる
あーーーいむ、どりーーみんおーばー、わーーい、くりーすまーーす
ではないけれど、それと同類に分類できる退屈な音楽の作者であったという認識しか無い。
私は、クリスマスには John Lennon の Happy Xmas (War is Over) 以外は聴きたくないって言ってんだろ、ぼけ、かす、と、毎年同じようにキレている人間なので割り引いて聞いてほしいけれども。
山下達郎の音楽に傾聴すべき精神性が宿っていると思ったことは一度も無い。歌詞だけを云々しているのではないよ。リズムもメロディーも和声も声の色も、体と心を踊らせない。つまらない。ダサい。何で評価が高いのか理解に苦しむ。
正直に言うと、ファンも同じ穴の狢だと思うぞ。自分の鈍感な耳に絶望する方が良いんじゃないか。
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