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> 今日も父の家に行くのさ 日曜日だからね
この「父の家」は教会を意味するが、キリスト教信者でなく天理教信者である私の場合は、次のようになる。
「今日は親の里に帰るのさ 20日だからね」
奈良県天理市にある天理教教会本部を信者は「おぢば」や「親里」と呼んでいる。「ぢば」は「地場」、"The Place" やね。そして、「おぢばに行く」とは言わず「おぢばに帰る」と言う。親である神の里だから。
各地の教会も、信者にとっては「ぢば」の出張所みたいな感じで、安心できる「親の里」としての役目を担っている。教会本部は毎月26日に、そしてその他の教会も26日以外の日を決めて月次祭をする。私の属する教会の月次祭は毎月20日なので、キリスト教徒が日曜日ごとに教会の礼拝に行くように、私も20日には教会の月次祭に行く訳だ。(ときどきサボるけれども)
熱心な信者は毎月26日の本部月次祭に参拝する。これは時間もお金もかかるので、信者の誰もが出来る訳ではない。私なんかここ十数年無沙汰している。(自慢するな)
キリスト教の「父」に対して天理教は「親」だから、天理教の方がジェンダー・ニュートラルで良いよね ... と言って天理教の宣伝をしたい訳ではない。
むしろ「父の家に行く」と「親の里に帰る」という言葉の違いをきっかけにして、連想的に思い付くことを書いてみたいと思っている。
おっと、そろそろアルバイトに出掛ける時間なので、いったん中断します。
私は今、自分の生家に住んでいる。建て替えたとは言え、両親が私を大切に育てた場所だから、父の家または母の家、親の里と言って良いのかも知れないが、既に父は亡く、母も89歳になった今は、子として安心して居ることが出来る親の家ではない。
お父さんはお金持ち
お母さんは美人
だからお眠り、泣かないで
サマータイム。
夏といえばお盆だ。お盆は大好きだった。普段はさせて貰えない贅沢をおじさんたち、おばさんたちがさせてくれたし、いとこたちと会って遊ぶことができたし、唯一の不満はお年玉が無いことぐらいで。
家の墓参りを済ませた後、まずは母の生家に行く。母には二人の兄弟がいたので、合計3家族、13人が寄り集まる。墓参りをして、いろいろとご馳走をよばれる。その後、今度は父の生家に行く。こちらは合計6家族、25人が寄り集まる。墓参りをして、またご馳走をよばれる。
私には父の生家の方が楽しかった。私は母の方では6人のいとこたちの最年長だったが、父の方では13人中の7番目だったので、知らなかった事を教えてもらったり、遊んでもらったり出来たからね。
そんな訳で、「父の家」「親の里」と言うと、自分が帰って行くべき自分の生家ではなく、父が私を連れて帰った父の生家、母が私を連れて帰った母の生家を先に連想する。二人とも生家ではきょうだいたちと楽しそうに寛いでいたから、余計に良いイメージが定着したのかも知れない。
自分自身の生家に悪いイメージを持っている訳では決してない。祖父母は善良な人たちで、特に祖母は私を猫可愛がりに可愛いがってくれた。
祖母は家庭的な意味では恵まれない人だった。最初、祖父の兄に嫁いで来たのだが、その人が若くして亡くなったために祖父と再婚した。(次男であった祖父は当時神戸に出ており、一緒に暮らす女性もいたそうだが、家を継ぐために帰って来ることを余儀なくされたそうだ)
祖母は子をなさなかった。それで幼い甥(妹の子)を養子に貰った。祖母はきっとその人を可愛がったと思う。孫である私を間違ってその人の名で呼ぶことがよくあったからね。また、その人が草花が好きだったために、祖母は庭に花を植えるのを嫌がったそうだ。その人は若くして戦争で死んだんです。
その後に、二人目の養子として父が来た訳だ。
祖父母の話をもう少ししよう。
祖父は田舎の次男坊で、本当なら都会で暮らすべき人だった。ちょっとおしゃれで、煙草が好きで、いつも寡黙で、周囲からはあまり野良仕事が出来ない人だと評価されていた。祖母でさえ、もう少し仕事をしてくれたら良いのにと人に愚痴をこぼしたことがあるそうだ。私の記憶でも、背中を丸めて炬燵にあたって煙草をすったり、毎晩風呂上がりにサロンパスをペタペタ貼り付けていた姿が印象に残っている。
しかし祖父は昔話が得意だった。桃太郎とか、石見の重太郎とか、祖父の布団に潜り込んで、寝物語によく聴かせてもらった。(父に対しても同じように寝床で昔話をせがんだことがあったが、こっちは皆目ダメだったので、一度で懲り、二度と頼まなかった)
祖母は信仰心の篤い天理教信者だった。私が幼児だった頃には、最初の養子の実母である妹と連れ立って、峠を越えて隣の谷にある教会の月次祭に参拝したりしていた。私も一度連れられて歩いた記憶がある。その教会には祖母の別の妹が嫁いでいて、そこで三男として生まれ、後に二人目の養子になったのが私の父であった。
祖母は子を生むことが出来なかったが、不妊に悩む婦人を「おさづけ」の取り次ぎによって救ったことがあった。その婦人は先年亡くなったが、「ふしぎなたすけ」によって授かった子は、私が尊敬する先輩として今も村に健在である。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/sazuke/
「おさづけ」は「別席」という名の講義を9回聞けば誰でも貰うことが出来る「ふしぎなたすけ」の力である。ある程度以上に熱心な天理教信者なら誰でも貰っている。(実は私も貰った)
ただし「おさづけ」が本当に不思議な力を発揮するかどうかは場合による。たいていは何の効力も無い。(あたりまえだ)
ある年老いた教会長が「戦後、健康保険が出来てから、おさづけの実績が上がらなくなった」と嘆いたと聞いたことがあるが、実情はそんなもので、たすけを求める人の数が多ければ、偶然や勘違いによる「奇跡」も多くなるものだろう。
しかし本当の「ふしぎなたすけ」は少数ながらあったし、今もあると私は思っている。
祖母の「おさづけ」は良く効くと言う評判だった。そうだったのだろうと思うわせる一途な浄らかさが祖母にはあった。