祖父の方はどういう信仰をもっていたのか、よく分らない。
元々、田舎ではごく普通の仏教神道ごちゃまぜの家に、おそらく祖母が持ち込んだのであろう天理教の神が加わっても、全く抵抗はせず、むしろ祖母のリードに喜んで従っていた節がある。
だから、物心が付いた頃の私の家は、仏壇もあれば神棚もあり、弘法大師像もあれば天照大神の掛軸もあり、ここまでは普通だが、その余計に天理教のお社まであるというカオス状態であった。と言うか、誰もそれをカオスだと思っていないのが日本人らしいところなのだが。
祖父は天理教の教えを一通りは理解していたと思う。仏教に比べて遙かに分りやすい教えだし、神道のように全く教理が無いので理解のしようが無いという訳でもないからね。
そして、祖父は毎日、天理教のお社の前に座って礼拝していた。しかし、その様子を見ていると、祈りの最後にはいつも脚を手で撫でさすって、どうかこの痛みを取り除いて下さい、と祈っているようだったので、御利益信心にとどまっていたようだと私は思っている。
今とは違って、祖父は自宅で亡くなった。合掌して祈ってから最期の床についた。