00:45:51
「父の家」「親の里」 #8
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祖父の方はどういう信仰をもっていたのか、よく分らない。

元々、田舎ではごく普通の仏教神道ごちゃまぜの家に、おそらく祖母が持ち込んだのであろう天理教の神が加わっても、全く抵抗はせず、むしろ祖母のリードに喜んで従っていた節がある。

だから、物心が付いた頃の私の家は、仏壇もあれば神棚もあり、弘法大師像もあれば天照大神の掛軸もあり、ここまでは普通だが、その余計に天理教のお社まであるというカオス状態であった。と言うか、誰もそれをカオスだと思っていないのが日本人らしいところなのだが。

祖父は天理教の教えを一通りは理解していたと思う。仏教に比べて遙かに分りやすい教えだし、神道のように全く教理が無いので理解のしようが無いという訳でもないからね。

そして、祖父は毎日、天理教のお社の前に座って礼拝していた。しかし、その様子を見ていると、祈りの最後にはいつも脚を手で撫でさすって、どうかこの痛みを取り除いて下さい、と祈っているようだったので、御利益信心にとどまっていたようだと私は思っている。

今とは違って、祖父は自宅で亡くなった。合掌して祈ってから最期の床についた。

07:57:03
「父の家」「親の里」 #9
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「父の家」「親の里」という言葉から連想して、毎年お盆の墓参りに訪問する両親の生家について書こうと思っていたのに、私自身の生家について長々と書いてしまった。

私は母の生家より父の生家が好きだった。その理由として、父の生家では13人のいとこたちの中で私が7番目だったことを挙げたが、それは言い訳みたいなもので、本当は家や家族が持つ雰囲気が違っていたからだ。父の生家の方が明るかった。

母の生家が平凡な一介の貧しい家であったのに対して、父の生家は天理教の教会であり、この地方の富貴な名家でもあった。田畑山林の富は父の祖父が天理教に入信した時に手放して無くなっていたが、名家であることの証左は、学歴や社会的地位であったり、人望であったり、言葉の端に現れる品の良い優しさであったり、いろんな所に色濃く残っていた。

名家の一員であるという意識は心地よいものだったから、私は自然と母の生家より父の生家を尊んでいた。勉強が良く出来て裁判官や医者になっていたおじさんたちを自分のロールモデルとして受け止めてもいた。

では天理教でなくても良かったのかと言うと、そこはやはり違う。

09:46:28
「父の家」「親の里」 #10
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父の生家が天理教に入信したのは父の祖父(私の曾祖父)が若くして病気を得たことがきっかけだったそうだ。当時、おつとめの言葉をもじって「屋敷を払うて、田売りたまえ、天理王のみこと」と揶揄されたように、「まずは貧に落ち切れ」という教えに従って入信と共に財産を手放す人が多かったが、彼もまたそうした。当然のことに家はまたたく間に没落していく。

「せっかく有難い教えだと言って入信したのに、あなたの病気も良くならず、何も良いことがない」と嘆く妻に彼は「この教えはそんな小さなものではない」と答えて譲らなかったそうだ。

この初代会長は若くして亡くなり、その子であった若き祖父が後を継いだ。祖父は勉学に秀でた人だったので、周囲は彼が大学に進学するのを当然のことと思っていたが、そのための学資すらお供えに回してしまい、教会長の仕事に専念することにした。

おまけに祖父は祖母との間に五男一女をもうけたから、絵に描いたような貧乏生活で、男の子たちは汚れの少ないパンツを我先に選んで履いていたと後年おじさんたちが笑い話に教えてくれた。

今なら家族ぐるみでカルトの犠牲者だと言われるよね。

10:37:06
「父の家」「親の里」 #11
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五男一女のおじたちとおばは祖父の血を受け継いだのか、みんな学校の勉強は良く出来た。

私の父はその点では少し劣っていたようで、「小学校では○○君(長男)と○○君(次男)の弟さんか、とさんざん言われた。やっと二人が卒業したと思ったら、今度は○○さん(妹)のお兄さんか、と言われるようになって、こらアカンわと思った」と、よく笑い話に聞かせてくれたものだ。

それはともかく、勉学の出来た3人のおじたちは、教会の信者や親戚が援助してくれて大学に進学し、一人は裁判官になり、一人は医者になった。しかし、もう一人、長男だけは、卒業して家に帰り、結婚もした後に精神の病を患い、二人の幼児を遺して死んでしまった。

当時、家にいてその様子をつぶさに見ていた叔父からは「急に教会の屋根にハシゴを掛けて、えらい勢いで登って、大声でわめき始めるんや。それはもう、何とも言えん酷いもんやった。亡くなったときは、正直、ああ、やっと死んでくれたと思ってホッとした」と聞いている。

祖父と祖母は、信仰が実を結び始めたと思った矢先に、後継者として頼りに思っていた長男をこういう形で失った訳だ。

11:34:36
「父の家」「親の里」 #12
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父の生家である天理教の教会の家族は、そういう辛い経験を内に抱えながらも、明るい気持ちを失わずに、人に優しかった。財力と社会的地位だけに価値を見出す世間一般の人たちとは明らかに違うものがそこにはあった。その雰囲気が私は好きだったのだ。

多くの人が既に亡くなってしまった。精神病を患った長兄の最期を見届けた東京の叔父も今はもういないし、幼くして父を失った二人の従兄も去ってしまった。もっと話をしたかったのにと今になって思うが、どうにも出来ない。

こうして振り返ってみると、私にとっての天理教の信仰が、私個人が選び取ったものであるよりも、家の中で守られ受け継がれたものであることが改めてよく分る。

私の父も東京の叔父も家に布教所の看板をかかげたが、二人とも「天理教を信じたからと言うより、親を喜ばせたかったからだ」と言っていた。「親が創価学会なら創価学会でも良かったんやろな」と。

私も布教所長であるが、理由は似たようなものだ。

えええ?落ち着くところは「家」であり「親」かよ?それって、仏壇で御先祖様を拝んでいるのと、どれだけ違うのよ?という疑問は私にもある。

13:38:38
「父の家」「親の里」 #13
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「父の家」「親の里」という言葉に関連して、もう一つ、書き留めておきたいとのは、Tさん(妻)が先日言った言葉だ。

Tさんは、成人して都会に出ている子たち(一人はこの春に就職し、もう一人も再来年には就職する予定)が帰るところが無くなると可哀相だから、この家を出ることは出来ない、という意味のことを言った。

ぼかして書くのが面倒くさいので、必要な範囲で事情を説明する。現在、私はTさんとは別居中である。長くTさんの生家に同居していた(いわゆるマスオさん)のだが、子たちが大学生になって都会に出て行ったのを機に、私は生家に戻って老齢の母と同居することにした。一方、Tさんの生家には介護が必要となった老齢の義父もいたから、自然と別居する形になった。

別居してみると、これがお互いにとって非常に快適であることが分った。離婚したらしいという噂も飛び交ったようだが、新婚当初のようにとまでは言わないが、以前よりもずっと仲良くしている。お互いに対する微妙な、けれども無視できないストレスが別居によって大幅に減ったのが理由だろうと思う。

裏事情の説明はそれぐらいで良いとして、、、

14:09:56
「父の家」「親の里」 #14
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Tさん(妻)が言った「子たちが帰ってくる家を守ってやりたい」という意味の言葉に私は興味を引かれた。ふうん、母親はそんな風に考えるのか、と思った。あまり世間的な考え方の出来ない私にはよく分からないところだ。

Tさんの生家は、ごくありきたりの神仏混淆の信仰形態を持っている。

Tさん自身、子たちが幼かったころは、私に同調してくれて、天理教の夏のイベントである「子供おぢばがえり」などに近所の子まで連れて参加してくれたこともあったが、今では天理教を「変な宗教」と呼ぶようになった。どうやら元からそう思っていたらしい。だんだんと元ヤンキー娘の地金が出て来た感じだ。

「ほんなら、変でない宗教って、何やねん?」と聞いたら「普通の宗教や」と答える。「普通?」「そうや。普通の仏教や」

いつもいつも、普通の人は言語化してくれないので困るのだが、あえて当方で勝手に推測すると、「普通の宗教とは、家内安全と出来れば家族の富貴を願って御先祖様その他の普通の神様仏様にお祈りすること」という事であるらしい。(「普通」が再帰的に使われているが、それぐらいの瑕疵は見逃してね)

14:31:54
「父の家」「親の里」 #15(完)
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私の子たちはどうするだろうか。

おそらく、Tさん(妻)と同じように、「普通の宗教」に満足するのだろうと思う。

あるいは、何かに行き詰まって、宗教というものを考え直すことになるのかも知れず、むしろその方が有難いと思うが、その時に、無条件で天理教を薦めることが出来るかというと、そんな訳でもない。「まあ聖書でも読んでみたら」と言うかもしれない。

それはもう、私には手の及ばない所だ。傍観しているしかないと諦めている。

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これで終りにします。

書きたいと思ったことはほぼ全て書きました。長々と取留めの無い話を読んで下さって有り難う。感謝します。

14:47:30
2023-07-24 14:39:03 Shinh Y.の投稿 Shinh_Y@fedibird.com
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