オフトゥン、入出力はあるけどバッファリングの制御がきかないので入出力デバイスとしては出来がよくない
オフトゥン、入出力はあるけどバッファリングの制御がきかないので入出力デバイスとしては出来がよくない
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結構前に買った中世ラテン語読本にニヴァルドゥスの『イセングリムス』が収録されていることに今気付いた.
『イセングリムス』は何と翻訳があるので日本語で読めるのだ.|中世ラテン語動物叙事詩イセングリムス|鳥影社 https://www.choeisha.com/pub/books/54366.html
チョロいので「論文読みました,面白かったです」とか言われるとお世辞とわかっていても嬉しくなってしまうんですよ…
去年こういう本が出ていたのはチェック漏れだった|古代ローマ法における特示命令の研究 佐々木健 https://www.amazon.co.jp/dp/4535522480/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_Bi5RAb08VBBP6
ちょうどこのFlores論文の最後でvariante d'autoreの話になっていて興味深い.
問題になるのは『アストロノミカ』第4巻の序歌の最後に置かれたこの3行.
quod quoniam docui, superest nunc ordine certo
caelestis fabricare gradus, qui ducere flexo
tramite pendentem valeant ad sidera vatem. (Man. 4.119-121)
《こうしたことを教え終えたので,次に残るは屈曲した道にぐずつく詩人を星々へまで導くことのできる天の階梯を然るべき順序で作り上げること》
序歌は内容的に特に新しいことを教えていないため《教え終えた》という切り出しが不可解としてBentleyはこの3行の真正性を疑問視した(Atqui nihil novi hic docuit ... Quare hos tres pro spuriis habeo).
https://books.google.co.jp/books?id=PBRQAAAAcAAJ&dq=Bentley%20Astronomicon%20libri&hl=ja&pg=PA190#v=onepage&q&f=false
このBentleyの主張は確かにと思わせるものなのだけれども,その一方でこの3行の言葉づかいなどは,明らかに不自然なものが入り込んでいるタイプの竄入とは違う印象を与えもする.
Floresはこの3行が詩人の「第1稿 prima redazione」に含まれていて続く122行以下によって撤回されるはずだったものが今のテクストに残されたと考える.
(Questi versi ... vanno per me ritenuti come una prima redazione, poi annullata dai vv. 122 ss.; p.19)
こういう可能性を考慮できるようになると,竄入の問題ひとつとっても「真か偽か」という二択ではなく,「真であるけれども異なるバージョンに属する」みたいな判断の幅ができてくる.
それでじゃあ古典古代について詩人や作家がどんな風に自作を推敲していて彼らのエディションがどう作られていたのか,となるとわからないことが多いのだけれども,たとえばウェルギリウスくらいの詩人になるとそうした情報を古代の学者や注釈者が伝えてくれていて(ちょうどこの前の『農耕詩』におけるガッルスのエピソードの扱いなど(https://gnosia.info/@ncrt035/99399853631491891 )),あまり空想をたくましくするのも問題ではあるがこうした現象の存在は少なくとも頭のどこかにおいておいて損はなさそう…
なお,古代におけるウェルギリウス研究というこの方面についてはイタリアの文献学者セバスティアーノ・ティンパナーロ(Sebastiano Timpanaro, 1923-2000)が取り組んでいて,2冊の重要な業績を残してくれている.
Timpanaro, S.(1986, 2002(2a ed.)), Per la storia della filologia virgiliana antica, Roma: Salerno.
---(2001), Virgilianisti antichi e tradizione indiretta, Firenze: Olschki.