icon


柳瀬博一『カワセミ都市トーキョー 「幻の鳥」はなぜ高級住宅街で暮らすのか』(平凡社新書,2024年1月)

私が住んでいる地域ではちょくちょくカワセミの目撃情報があり、私はずっと、それはここがタヌキやハクビシンもいる都下の郊外だからだと思っていたのですが、実は都心にも、いや都心にこそ現代のカワセミたちは好んで住み着いているというのです。

本書は、コロナ禍で自宅にいることが増え地元に改めて目を向ける機会を得た東京都内在住の著者が、意外と街なかにカワセミがいる!? ということに気付き、意識していくつかのポイントで観察と考察を重ねていった記録です。

以前から残っている自然、都市計画のなかで新たに作られた自然、定着した外来種、そしてそんな環境に戻ってきて適応したカワセミたちが暮らしやすい地形のある場所が、人間にとっても快適で人里として発展しやすい場所と重なること……などがデータを挙げて分析されていく。

〔つづく〕

icon

〔つづき〕

カワセミたちがつがいを作り、住処を定めて(そんなとこに巣を!? ってびっくりした)子育てをして巣立たせていく過程を見守りながら、著者が彼らにどんどん親近感を抱いて人間のステレオタイプな親子のようなセリフを割り振っていくあたりは、すごく楽しい。ただその一方で、勝手に仮託するのはカワセミに失礼なのでは、本当は絶対そんなこと言ってないし、という気持ちも生じて複雑。著者はしかし、そこも織り込み済みで敢えてこの表現方法をとっているのだということも理解はできる。たしかに、そういう書き方で、カワセミの行動描写が素人にもぐっと読みやすくなるんですよ。

ところで、私の地元なんですけど。カワセミの姿が頻繁に見られている川が、たぶん本書に出てくる都市型のカワセミが巣に利用できるような形状ではなく、かといって山奥の清流にいるカワセミのように崖の土を掘って昔ながらの巣穴を作れそうな感じでもなく……彼らはいったい、どこに巣を作ってどう生活しているのか。都市型と山奥型と、どっちのタイプなのか。今度、知ってそうな人に訊いてみなくちゃ(自力で確認しようとしてもおそらく分からないと思うので)。

〔了〕

icon

たぶんヒメツルソバ(別名カンイタドリ)。

幼児時代、勝手に「おせきはんのはな」と呼んでいたが、いま検索したら「コンペイトウのような花」と説明しているサイトがあって、そうだなー、赤飯よりは金平糖のほうが絶対に似てるよなー、と。

ちっちゃい頃の私は、お赤飯が好きだったんだよ!

ヒメツルソバ(たぶん)の花と葉を真上から撮影した写真。ピンク色の花と白い花がある。
Attach image
icon


ロバート・コルカー『統合失調症の一族 遺伝か、環境か』(訳:柴田裕之/早川書房,2022年9月/原書:Robert Kolker "Hidden Valley Road: Inside the Mind of an American Family" 2020)

ノンフィクション。1945年から1965年までのあいだに生まれた12人の子供たちのうち、息子6名が統合失調症の診断を受けた一家の軌跡。発病して世間とずれてしまっている者にも、罹患しておらず社会とのつながりを保ったまま、家族によってもたらされる困難に振り回される者にも、それぞれの苦しみがある。

時代的に価値観がいまと違うのは大前提で、この12人きょうだいの両親が当時の基準でも保守寄りのカトリック信者夫婦で、それが状況の悪化につながっている面があるようにも感じる。しかし家族メンバーがおのおの過酷な事態に次々と見舞われても、逝去以外の理由で決定的に縁切りして離脱する者がおらず、最終的にはそれなりにポジティブなかたちで家族の絆が保たれるのもまた、もともとそういう家庭であったからなのか、とも思うし……。

〔つづく〕

icon

〔つづき〕

本書では存命しているひとりひとりに取材して家族の歴史を丹念に追うとともに、そのときどきの精神疾患治療の実態および研究の実情が解説される。そしてやがて、この一家の人々が研究者と出会い、遺伝子データの提供に同意したことから、紆余曲折を経て重要な発見がなされていく。

まだまだ解明されていない点が多い病気ではあるのだろうけど、いまよりずっと不明なことが多く患者の人権も考えられていなかったところから、多少なりとも状況が変わってきた時代の流れと、この一家のたどってきた数十年の道のりが並行して進み、互いにリンクして、彼らの存在そのものがこの研究分野の発展に貢献もしてきたことに感慨を覚える。

発症しなかった家族メンバーはみんな葛藤と懊悩の末に、自分を守り社会のなかで生きていく方策をそれぞれのやり方で選び取っている。なかでも、いちばん割を喰ったとも言える末っ子の女性が、どう考えても児童虐待だろうという環境に放置されて育った過去を乗り越え、ほかの家族を介助したり実務的なサポートをしたりすることで自分も再生していこうとする姿勢が印象的。なんと強いひとなのか。

〔了〕

icon

「ルレクチエ」という、初めて聞くもののジャム(たぶん)の小瓶をいただき、ジャムが作れるからにはきっと果物なのだろうと思いつつ、くれた人からは「お店で珍しいものだと言われたので買った」以外の情報を得られなかったので、検索してみた。

……洋ナシの品種名かー! Wikipediaによると Le Lectier と書くらしい。「ル」と「レクチエ」のあいだに区切りがあるんだな。

新潟市|西洋なし「ル レクチエ」
city.niigata.lg.jp/business/sh

JA全農|新潟のル レクチエ
zennoh.or.jp/nt/rurekuche/

 
わりと真っ当なところなはずのウェブサイトのURL文字列が rekute とか rurekuche で、まったく原語の綴りが考慮されてない。いいのか。

とにかく、そういう品種の西洋ナシがあることを初めて知りました。

icon

【ドラマ「三体」がついにNetflixで配信開始──原作未読派も既読派も、より楽しめるヒントを指南!】
gqjapan.jp/article/20240321-ne

 
Netflix版のドラマ『三体』、配信始まったのですね。かつて製作発表があったときは、ついに私もネトフリ民に!? とか思いましたが、現状ではほかで「いつか観たい」リストに入れたまま観られていない映像作品が多すぎて、新たなサービスに加入することに抵抗が……。

あと、紹介記事を読んだら、すごい改変があるね!? いやー、予告編を見たらみんな英語しゃべっていて、なんで!? とは思っていた。舞台が北京からオックスフォードに変更されているとは。ざっと検索してみたところ、すでに観た人たちには評判いいみたいだけど。そもそも原作者がOKを出しているんだし(とはいえ、劉慈欣先生は、あのまるっっっきり原作と別物になった映画版『流転の地球』を喜んでご覧になったかただからなー!)。

って。私は、中国で作られたテンセント版のドラマ『三体』が、本当に本当に本当にあまりにも好きだったので、Netflix版を観るのが怖いだけなのかもしれない。

Web site image
ドラマ「三体」がついにNetflixで配信開始──原作未読派も既読派も、より楽しめるヒントを指南!
icon

前にSNS上で、推し選手が出ていない試合のほうが心穏やかに純粋な興味でスポーツ観戦を楽しめるというような話題を見て笑っていたことがあるのですが、まあ実際そうですね……と噛みしめる今年のフィギュアスケート世界選手権。しかしつらいのは悔しいのはファンよりも本人だからね……。ファンは、ここまで長いあいだ頑張ってやっといい感じに調子を戻せていた本人が本番でそれを発揮できずどれだけ悔しいことだろうかということを考えてしまってつらいだけだからね……。

icon

胃カメラを呑んだので疲れ切っています。私は喉の反射が一般よりも強くてえずきやすいタイプらしいのだ(前に検査したとき、そのように言われた)。

鎮静剤なしだったんですが、どうもこれまでの経験から考えると、私は中途半端に鎮静剤を入れてもあんまりぼーっとできず、体感的な苦しさの総量は大して変わらない気がして。だったら喉の麻酔のみで、検査後に薬が抜けるのを待たずに動き回れるほうがまだマシかも……って、思ったんだけど! けど!

事前に血圧を計ったらだいぶ低くて「普段からこうですか?」って訊かれましたが、違います。胃カメラが怖かったせいでは。亡父も胃カメラ検査のときだけパニックして血圧が超低くなって看護師さんに驚かれていた。伝統芸。

なぜ健康を維持するために、食事を抜き水分補給も我慢して、心身を削られなければならぬのか。

って、なんかしんどい検査をするたびに同じこと言ってますが。本当に胃の内視鏡検査が苦手です。必要と分かっていても、理性が受け付けても、身体が拒否する。きっと世の中には、私の知らない、もっと恐ろしい検査だってあるに違いないのだけれども。

 
……という愚痴の吐き出しでした!

icon

定義的には「胃カメラ」と「内視鏡」は別物だということはいちおう知っていますが、慣例的に現代においては胃カメラと言えば内視鏡のこと、でOKだそうなので、ごっちゃにしたまま書いたよ。