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若竹千佐子『かっかどるどるどぅ』(河出書房新社,2023年5月)

前作『おらおらでひとりいぐも』が、ひたすらにひとりの高齢女性の生活と内面を突き詰めていくように進んでいったのに対して、今作は1話ごとに主役が変わってゆき、個人の問題と社会の問題が地続きであることが浮き彫りにされる全6話の群像劇。

それぞれの登場人物が、それぞれの事情で、否応なしにいまのこの社会のメインストリームからはぐれて孤立と絶望に追い込まれるなか、なんとか踏み出した一歩でかろうじて互いにつながり、流れに抗う意志を持ち、やがてそれまで接点のなかった者同士で軽やかに連帯が発生する。

語り口のリズムの軽快さ、あえて文章の作りを標準からずらしてきた瞬間に心に飛び込んでくる感情の生々しさに技巧を感じる。とりわけ前作に引き続き文字として記された東北弁の力強さが印象的。

『万葉集』の和歌からの断片を用いて、物語の内容を間接的にしか表現しない各話タイトルも奥ゆかしくお洒落(特に、みんなの居場所を提供する「吉野さん」が登場する第4話)。

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初期からずっとTwitterに読書記録をつけてきたので、習慣として続けられるうちは続けたい気持ちもあるのだけれど、だんだん140字以内で分割するのがめんどくさくなってきた。

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Twitterもう駄目かもしれんねって本気で思い始めた頃から、自分しか見ないプレインテキストのファイルに日付を入れて、前よりも意識的にいろんなメモをちまちま残すようになった。

気になった記事のURL、読んだもの見たものへのとりあえずのひとこと、漠然とした思いつき、美容院の予約日時や家電の買い替え記録などなど、なんでもかんでもごった煮状態。で、半年ちょっとそのメモをため込んでみて。

――なんだ、私はこれでいいんだな、SNSに書かなくても自分だけが読み返して楽しいことは自分だけが見るところに書けばいいんだな、と。昔はそうだったじゃないか。自分の日記帳で満足できていたじゃないか。

串刺し検索機能があって正規表現に対応するテキストエディタなら、過去ログもさくさく探し放題だし。誰にも見せなければ絶対に炎上しないし。推敲するヒマなくても頭に浮かぶままに書いておけるし。

しかしそうすると自分がSNSで発言するのって……なんだろう、お友達への生存報告?

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私は正直言って、会ったこともないよその人の生活や思考の断片がどんどん流れてきて流れていくのを眺めるのがわりと好きなので。

見せてもらっているからには、自分も自分の断片を放流しないとフェアじゃないのでは感があるんだと思う……実際に求められているかどうかはさておき(しかし、さておいていいのか、それは)。

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うっかりと、RTされてきた面白いツイートへのリプライやら引用コメントやらを、ぜんぶ表示させて読みふけっていたら、本日のWebから見るツイッター権を使い果たしたみたいだよ! いま制限かかってます。

やはり閲覧数の制限は解除されたわけじゃなく、カウントがリセットされただけだったのか。

自分で自分のツイート見られないけど、誰かが「いいね」してくれたら通知は来る。通知欄に表示された自分のツイートは読める。

AndroidのスマホとiPad miniからはまだ閲覧できている。昨日もそうだった。私はPCでWeb版を見ていることがいちばん多いからな。次にiPad mini。

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あれ? 読めたり読めなかったりするなー、Web版Twitter。ただ単に不安定なだけなのか?

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いや、やっぱり「制限に達しました」ってメッセージ出る。