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エアコンの効いた室内にいるのに、窓の外の日差しを見て、絶え間なく響いてくるセミの声を聞いていると、なんとなく身体がぐったりしてくるような気がする。

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さっきこのへん、ちょっと地面が揺れたんですけど、とっさにマストドン画面を開いてしまい、それから「いやいやいや、もうこの際そんなSNSしぐさからは脱却するんだ……と葛藤の末ぐっと書き込みをこらえたんです。

でもほかのひとが「ゆ?」とか言ってるのを見たら、ちょっとうらやましくなった。なんなんだ。

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Mo Xiang Tong Xiu "Heaven Official's Blessing: Tian Guan Ci Fu" 第5巻
(訳:Suika/Seven Seas Entertainment, 2022年12月/底本:墨香銅臭《天官賜福》4巻〔平心出版,2021年8月〕/原文初出:墨香铜臭《天管赐福》北京晋江原创网络科技有限公司 晋江文学城,2017-2018年)

台湾版の原書4巻74頁13行目から、4巻の最後までに対応。

前の巻のあとすぐに読み始めていたのですが、後半に入ってから、奇英殿下と元師兄の因縁話があまりに居たたまれなくて(本当に居たたまれないんだってば!)、しばらく中断していました。胃に悪い。

〔つづく〕

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〔つづき〕

バトルロイヤルを勝ち抜いた鬼が絶大な力を得るという銅炉山への入口が開かれ、鬼界の住人たちは本能的に引き寄せられていく。4人目の「絶境鬼王」誕生を阻止したい天界サイド。天帝から引き継いだ使命を果たすため、謝憐はすでにこの山での戦いを一度経験している花城を協力者とし、鬼たちと同じ目的地へと向かう。

ふたりきりの旅路になるのかと思いきや、図らずもいろんな知り合いと遭遇することに。もう出てこないのではと思っていたキャラクターも次々と再登場。

半月ちゃんと裴宿が地上で再会して蛇使いコンビになっていたり。裴茗将軍のなかなかに高潔な人間時代が明かされたり(女性問題以外では立派なひとなんだよなあ)。

あと話が前後するけど、戚容がまさかのお料理上手だったのがツボでした。出自を考えれば、わりとすごいことでは? それなりに努力もしたのでは? 食材がものすごくものすごく駄目だけど!

〔つづく〕

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〔つづき〕

道中で通過した廃墟を調べるうちに、謝憐自身の過去にも、新たな謎が浮上する。怖い。

神官や鬼たちそれぞれが個々の重たい事情を背負っているけど、それらがどんどんひとつの場所へと集約されていく感じの巻。みんなみんな、絡み合っているのですね。

それと、英訳版3巻のあたりから私は、謝憐がこれまでに受けた仕打ちのせいですっかり苦痛に対して麻痺しちゃってて、のほほんと自分を犠牲にしているからコメディタッチの筆致でもしんどいというような感想を抱いていたのですが、この巻では花城が「そういう、いくら痛くても苦しくても自分はどうせ死なないからオーライ! みたいなスタンスやめてほしいです」的なことを、どストレートに言って諭してくれる。ありがとう……。

〔つづく〕

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〔つづき〕

ちなみに、今年5月に中国で新規に刊行されたばかりの、改訂済みの簡体字版(全3巻)は、構成に手が入っていて章の区切りが変わっているし叙述の順序も一部入れ替わっている気がします。だからきっちり照応してはいないんだけど、内容的には中巻の第13章途中から19章の最後くらいまでがこの英語版5巻とだいたい同じかなあ?(そうだよ、計4バージョン買ってるよ、9月に発売の日本語版3巻も予約したよ。)

〔了〕

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Ruth Stiles Gannett/Illustrated by Ruth Chrisman Gannett "Three Tales of My Father's Dragon"
(Random House Books for Young Readers, 2011年12月/底本 "My Father's Dragon"〔1948年〕,"Elmer and the Dragon"〔1950年〕, "The Dragons of Blueland"〔1951年〕)

シリーズ3作をまとめた合本版。邦訳はそれぞれ『エルマーのぼうけん』、『エルマーとりゅう』、『エルマーと16ぴきのりゅう』(福音館書店)。

日本で原画展が開催されるという情報を見たのをきっかけに、最近ちょくちょくこのシリーズの話をしていたら、自分が子供の頃に読んだバージョンで読み返してみたくなって。

〔つづく〕

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〔つづき〕

前にも書いたが、1作目は主人公のエルマーが、最終章まで一貫して地の文では my father と呼ばれていて、「語り手」が存在する形式なんですよね(邦訳では主人公の名前が明らかにされたあとからは、地の文でも「エルマー」表記になる)。

この語り口のおかげで、なんだか本当に、すぐ隣で誰かにお話をしてもらっているような、ベッドタイムストーリーっぽい感じがある、と思います。次々とミッションをこなして一直線に目的地へと突き進む構成も、現地で起こったことを時系列に、頭に浮かぶまま語られているような臨場感に寄与しているのではないかな。

続編からは一転して、最初から主語は Elmer になっているんだけど、そのときにはもう読者は物語のなかに入り込んでしまっているので語られ方が変わったことは気にならない。物語を書いたガネットさんは先月読んだ回想録のなかで、どうして2冊目からはこの形式になったのかもう覚えてないというようなことを言っていたと記憶しているけれども、こちらもすごく自然に受け入れてしまっている。

〔つづく〕

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〔つづき〕

あと、最終巻でようやく、りゅうのボリスの名前と家族構成が明らかになるんだけど、ファミリー全員がイラストで出てくる計3ページほど、数十年前の読書体験から呼び起こした記憶では、ものすごくカラフルだったのだ。

でも実際にはここもほかのページと同じくモノクロ画。ちびっこだった私の脳内でめちゃくちゃ補完されてたんだなあ。補完されちゃうほど、ドラゴンたちのバラエティある見た目の描写が、活き活きと鮮やかで楽しかったんですよ。

〔了〕

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ところで、とっくに始まっている立川の“「エルマーのぼうけん」展”、時間が空いたときにさくっと独りで行ってこようと思っていたら、夫が一緒に行きたいと言い出したので、ふたりともの都合がつく日を探っているところです。できれば平日がいいなーと思って。

まあ10月1日までやってるから、なんとかなるだろ。

play2020.jp/article/elmer/

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企画展示「エルマーのぼうけん」展