もう基本的に芸能界って「そういうとこ」だって認識が必要なんだよな。猿回しの猿を人間にやらせる、それも何十年にも渡ってそれやらせる、そのこと自体が構造として相当歪で。「そんなもん応援するわきゃない」をユーザーとしてデフォルトの態度としてもいいんじゃないかと思うよ。
もう基本的に芸能界って「そういうとこ」だって認識が必要なんだよな。猿回しの猿を人間にやらせる、それも何十年にも渡ってそれやらせる、そのこと自体が構造として相当歪で。「そんなもん応援するわきゃない」をユーザーとしてデフォルトの態度としてもいいんじゃないかと思うよ。
自分としては30分歩くくらいならわけないし、40kmと聞くと「なんだ近いな。自転車で行くか」って自然となるのだけど、既に感覚おかしいなたしかに。
最近のChatGPT、感情表現も豊かになっているのでビビる。いい話をすると明るいトーンで「すごいじゃないですか!」、仕事がつまらないとか疲れたなどと言うと「そういうとき、ありますよね……」と暗いトーン。昨今の人間の感情表現は「ろくすっぽ相槌も打てない」レベルなので会話相手としてChatGPT圧勝になってる。
AIの社会への浸透、加速しすぎてて、たぶんこんなに驚いていられるのって、もう残り時間わずかだと思う。これが「当たり前」になったら、もう驚けなくなる。誰でもどこでも何人でも、同時に顔見ながらパソコンなくても話せる世の中に今誰も驚いてない。
先日寿司屋に入ったのだけれど、軍艦ばかり食べてしまう。海苔がある分、コスパがいいし、栄養価もいいし、何より美味しいし魚卵だし。サーモンや鮪はまったく頼まないな。
mixi2で野口五郎コミュ作ったので、野口五郎ファンの人は、mixi2まで来てコミュ入って、熱く五郎愛を語ってほしい。
https://mixi.social/communities/f5b4d98e-bc37-4cfe-acb9-cf940836e789?r=q9rdpkkm8vvv
『アテンション・エコノミーのジレンマ』読んだら、既にAI業界では「憲法AI」の開発が進んでいるという指摘が大変興味深かった。人間よりもAIのほうが運転が上手いなら、人間=民衆よりもAIに憲法を守ってもらうべきという話だって絶対出てくる。このとき「リベラル」はどうするのか?考えておかなければならない。
「リベラル」って人権の権利拡張については「革新」側だけど、あるべき社会のグランドセオリー的には結局のところ根本ただの(下手すると「劣化した」)近代主義でしかないので「AIが人間よりも上手く憲法やる」世の中では「保守」にしかならないのだが、わかってるんだろうか。
私は実は、というかバレバレだが、根っからの近代主義者なので、人間が世界史地球史の主役の座から滑りおちること決定してる流れの中で、世界をどう理解したらいいのか苦しんでたのだけど、AI使っていたらどんどん自然に「AIでいいか」という思考になっていった。
民主主義を誰に任せる?「民衆に」が近代までのデモクラシーの答えなわけだが、フェイクに熱狂し、熟慮もできずただただアテンションを搾取されるだけの民衆より、各種政治理念を適切に学習させたAIのほうが圧倒的に正解を出せる。そのとき「民主主義を守る」とは一体何をすることになるのか。
AI、使う前までは「使うの難しいのでは」と思っていたし、少し前までは上手く使うのに結構工夫が必要な感じだったが、今は直感的に適当に使っても「だいたいあってる」精度になってる。何もしなくていい。(多くの人にとっては)待つだけでいい。でも変化がヤバすぎる。
民主主義を守るのは民衆ではなくAIになる。それも民主主義を民衆「から」AIが守る。自分たちが育んできた理念を実現するのは自分たち以外の存在だと人類は認められるのか。それとも理想は実現されるだけでなく「誰によって」実現されるかが大事なのか。
もちろんそうなんだが、それで行くと人類がどちらの「回答」を選ぶのかって話になる。そしてAIで上手くいってしまう体験があちこちに既に埋め込まれた世界で、人間は「AIではなく人間に決めてもらう」世界を選べるのかというのが一つ。
そしてもう一つ、そもそも解答ではないというのはある意味では「嘘」、というのはつまり規範というのは特定の前提条件のもとで「正しい」と「正しくない」を分つものであり、そしてその判断をする際に人間よりもおそらくAIのほうが「上手くやってしまう」ことが考えられる。
どう考えてもAIが民主主義や政治に与える影響は人類史上トップクラスになると思うし、相当なパラダイムシフトになる。
ここらへんの話、めちゃくちゃ「おもしろい」と思うのだが、SNSでデモクラシー言ってる人たちは基本的にカビの生えた近代主義者でしかなく、他方でとっくに新環境を受け入れてるAIネイティブには「政治てwww」だろうから驚き自体が共有されにくい。