相手が知ってると強く想定される物事について詳しく説明すると、相手の知識レベルを実際より下に見ていることになるので失礼。相手が知らないと強く想定される物事について説明せずに進むと、これは不親切な上、「説明するまでもないことをあなたは知らない」と言ってるのと同じなのでこれまた失礼。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
相手が知ってると強く想定される物事について詳しく説明すると、相手の知識レベルを実際より下に見ていることになるので失礼。相手が知らないと強く想定される物事について説明せずに進むと、これは不親切な上、「説明するまでもないことをあなたは知らない」と言ってるのと同じなのでこれまた失礼。
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しばらくSNSへの直接投稿を控えてた。何か言いたいことあってもScrapboxにメモして、あとでその内容を各SNSにリンクを投稿するという運用にしてみた。結果いろいろ発見があった。
まず一番の発見はMastodon以外のSNSはアルゴリズムによってフィードをソートしてるので外部リンクの評価はとにかく低く、誰のフィードにも表示されなくなってるのだろう。反応が日に日になくなっていったことだった。
「いいねしてくれた人の投稿を優先して表示する」とか「いいねをたくさんもらってる人の投稿を優先して表示する」ってルールなので、ほぼほぼこちらもSNSを閲覧せずいいねもせずにいると、いくらリンクを貼ってもほぼほぼ反応はなくなる。
このことからまたわかるのはほとんどの人はフォローでタイムラインなどみておらず、基本的にはレコメンドのタイムラインを見ているってことだ。
多くの人は「リンク先に飛ぶ」なんてこともほとんどしていない。Scrapboxはいいねやスキなどの報酬系強化機能は一切ないが、ページが読み込まれた回数だけは捕捉できるのだが、まあほんとみんな基本「情報はSNSの中だけで完結させる」スタイルなのだなと。実際自分もリンク先の記事に飛んだことがあったが、広告が多いし、釣り記事も多いし、有料記事ばかりになったので、ほぼほぼ飛ぶ意味はないなと思っていた。
こんな風にわかりにくくしても、ファンというか「森さんはおもしろい」と思ってる人は黙って見ており、「だいたいこの人はこれを読んでくれそう」と思った通りにはなってる。それ以外の人たちはだいたいが要するに流れで反応してるだけで、いいねも拡散もほぼ誤タップなんだなと。
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SNSを離れてみると、どんどんそこでの話がどーーでもよくなってきたし、そこて述べられる意見の極端な面や粗雑な点がやたら気になるようになってきた。「みんな無茶苦茶言うとるな……」「一方的やな」「それ言うたらこんな反論されて困るんやけど」ってことをまるで一切疑問も感じずに断定するような極端な主張ばかりがウケてる。
意見としてウケがいいのは、つまりいいねやリポストが稼げるのは、具体的な時事ネタについて、主に「人権的観点」「反差別的観点」からの「安全め」の投稿で。自分としては百人一首の解説とかすごくおもしろいと思ってるんだけど、まずこの手の投稿は見られない(本当にほとんど読まれていない)。誰かを倫理的に非難批判する内容ばかり注目されるのに、何が美しいか、何がおもろいのか。そんなことには興味もない人たちがある種のSNSでは非常に多く、独善的に屯してんだなと思うようになった。
SNSでのいいねや拡散が得られないことは、最初はやはり多少気になったが、少しすると「なぜそんなものを喜んでるのか」「意味ないじゃん」って気持ちになった。ゲームをしている間はそのゲーム内でのランクや、獲得アイテム、実績解除や獲得経験値、レベルが気になるがやらなくなれば「だから何なんだ」である。それとまったく同じで、Mastodon含めSNSは人間の報酬系をハックしてるだけなんだなと痛感した。すごく偉そうにあれこれ言ってるんだけど、その実、ただの報酬系中毒。報酬系やフォロー関係にある他のアカウントから「切られない」ことにものすごく影響受けて、自分のオピニオンがみんな明らかに変質してるのだけど、そんなことにも気づいてない人たちが偉そうに民主主義とか語っても……。
一生懸命、しかもすごくいい内容書いたのにほとんど誰にも読まれてなかったりして最初はそんなことも若干気にはなったがすぐにどうでもよくなった。自分がよく書けた、いいこと書いたと思った投稿は、あとから「森さんあの投稿おもしろかった」と直接言ってもらえたりするので。そういうことを言ってきてくれる人というのはぼくから見ても非常におもしろい人で、理解力も高く「よくわかってる」と思う人で。要はおもろいこと書いてもおもんない人にはそれがおもろいとはわかんないので反応ないし、おもしろい人はおもしろいことがわかるので反応してくれるし、めちゃくちゃまともな反応の総体が得られるようになったので、これのほうがいいじゃん、と思うようになった。何もわかってない人から、ほぼ惰性で「いいね」とかもらってもまるで意味ないし、というかそうなったら「失敗だった」くらいに思うようになった。
でも、マジでそんなことがどうでもよくなったというか、「わざわざアクセスしにくくしたりわかりにくくする必要はないけれど、めいっぱいわかりやすく説明してるのにそれでも理解しなかったり、おもしろさに気付けない人にまで無理に届ける意味はないなと。そういう人は「ほれここ!」と指でさしてもう指のほうを見るだろうから。リンクはそこにあって、フォローすれば更新にも気づく。そこまでしてそれでも見ない人には何を見せても無駄だろうなと。
あとみんなXのことを悪く言うけれど、一番コンテンツがまともなのはXだと思った。あれはインターネットの都会なのよ。そこここにホストの看板が飾ってて「女性の客引きによる詐欺に注意しましょう」という音声放送が流れる前を「もっと稼ぎたい!お金大好き!」高額バイト募集」のアドトラックが走ってる状態。これだけ見るとなんて終わってるんだと思うが、老舗の大型書店もあればヴィーガンレストランもある。そういうことなんだと思う。それに比べるとMastodonは田舎の地方都市。かろうじてイオンモールはあるがって感じ。
インターネットとオフラインの大きな違いは、都会から田舎へ一瞬で行けてしまうところ。リアルで都市部から田舎へ行こうとしたらどうしても移動時間がかかってしまうが、インターネットなら「田舎行き」のボタンがあるのでそれをタップするだけ。でも誰もほとんど移動しない。どうしてるかっていうと、タップしてから移動するまでに数秒間の遅延をもうけるだけ。それだけでみんな「ここ」にいてくれる。何より目の前で毎日「祭り」が行われている。ちょうど今、燃やされるべき生贄が燃やされていたり、燃やされるべきなのに生贄が燃やされてないことに憤って燃やそう叫んでる人たちがいる。そっちに目を奪われるので誰も他所には行かないってだけ。
あと、SNSは蓄積性や再利用可能性が全然ない、しにくいとも痛感。すごくいい投稿、ひっかかる投稿があったのでシェアしたりいいねしたり、ブックマークしたりして、自分もそこで思ったことをコメントしたとして。それはいいねされたりするんだけど、まったく覚えてなかったり、あとで検索で非常に見つけにくかったり。しかも、最近ではX、Mastodon、ThreadsなどSNS自体が「分散」してるのでどこに何書いたか忘れる。そこで逆にした。気になる投稿があったら、ぜんぶScrapboxにまとめる。それに対する自分のリアクションもそこに書いておく。そのリンクを(見せたいなら)各種SNSに投稿する。こうするとScrapboxに自分の過去の知見もたまっていくし、それらがキーワードによって相互にリンクされるから、特定のキーワードに関する素材がたまっていく。そうするとそのトピックに対する自分の思考の矛盾点が見えるし、構造化されるようになる。Scrapboxと同じ会社が提供しているGyazoってサービスもとにかくOCRがたいへん優秀で。すべて画像としていったんアップしてしまえば引用もしやすい。
ちょっとおもしろいなと思ったのは、SNSから距離を取れば取るほど自分の考えが右傾化していったということ。「右」って言葉を使えばそれだけで顔を顰めるのが昨今の教養のない「左」の方たちだと思うが、そういう「左」の方たちの明らかに不正解なあれこれが気になってきたので、そこからは距離をどんどん置くようになってしまったってことかな。SNSしないとしてる人たちの極端が極端に感じられる、つまりこれが「自分たち」が外から見えていた姿でもある。本当に世界を変えたいなら、そういう人たちから自分たちがどう見えていたのか、視点の移動も必要だと思うけど、どこまでいっても(しょうもない)「自分」しかない人にはそんなこと無理だろうね。私は天皇制に反対だから保守とも言えないが、保守に一定の合理性を認める知的素養すらない「左」が愚かすぎるとわかるくらいには右な左である。
映画『ハンナ・アーレント』を見たんだけど、そこでアーレントはユダヤ人指導部のホロコーストへの関与にも触れたことから、ユダヤ人コミュニティからボロクソに批判され、友人の多くから絶縁されるんだよね。今のSNSなんかもそうでしょ。事実としてこうだということを言ってもそれが少しでも「仲間」に不利に「見えた」なら、お前はヘイター、差別者だっていう。映画でアーレントもユダヤ人から「ナチ」とか「ドイツ人」と呼ばれてた。コミュニティに埋没して「思考」するとは、そのコミュニティのドグマを否定できないってことなんだけど、他方で独りで「思考」すると、師匠のハイデガーのようになる危険性がある(ナチへの関与)。どこでバランスを取るかってすごく難しい。
教養って無茶苦茶大事で、AC/DCの歌詞一つとっても、歴史から聖書から映画から知ってると知らないのとじゃ大違いなんだよな。
Let There Be Rock https://scrapbox.io/eyehatesns/Let_There_Be_Rock
Hell Ain't a Bad Place to Be https://scrapbox.io/eyehatesns/Hell_Ain't_a_Bad_Place_to_Be
チャックベリーのこの曲も必修でしょう。なんせ一番から「ラジオにこの曲リクエストしたから今日もまたこの曲が聴けるよ!」というメタ言及&ヴァイラルマーケティングの推奨っていう。1955年とかっすよ?
Roll Over Beethoven https://scrapbox.io/eyehatesns/Roll_Over_Beethoven
SNSの中だけで完結してリンクを踏むことないのはわかってんだけど、一応リンクはっとくね。親切。ハンナ・アーレント(映画) https://scrapbox.io/eyehatesns/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%EF%BC%88%E6%98%A0%E7%94%BB%EF%BC%89
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木綿のハンカチーフがなぜ「社会的な歌」なのか書いた。読めば読むほどこれはとんでもない歌詞だなあ……。
自分で言うのもなんだけど、いい話が書けた。文章はいい加減です。文章の「良さ」とかもういらん時代だろうなと思ってるし、反響良いものや気に入ったものだけ、あとできちんと書き直せばいいし。
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松本隆の歌詞がすごい、何がすごいのかの野暮な解説です。でも「良さがピンとこない」「言語化できてない」って人には野暮も一定の効用があると思ってます。
Romanticが止まらない https://scrapbox.io/eyehatesns/Romantic%E3%81%8C%E6%AD%A2%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84
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芸能界、マスコミ、広告代理店が、業界のカルチャーとして性的な面でも女性の人格をそれ自体として尊重しないようなものが蔓延していて終わっているというのはその通りだろうけど、日本ではちょっと前までほぼすべての業種の大企業、中小企業、個人商店で社員旅行、研修旅行と称して海外や国内旅行に行ってはコンパニオンを呼んで宴会で接待させ、そのあと性接待させる買春をしたり風俗三昧だったりってことをしてたのだから、国全体で終わってんのよね。
そういえば、新型コロナウイルスが蔓延し始めたころに岡村隆史が発言したこと、貧困な女性が増えれば〔不本意に〕風俗産業に従事する女性が増えて云々というのなんか、そういう日本の男性のろくでもないものをそのまんま体現していたよな。
続き。そういえば、大蔵省解体のきっかけともなった「ノーパンしゃぶしゃぶ」とかもそうよね。民間からの接待や官官接待。言うてもあれは四半世紀も前の話になってしまったのか。居酒屋タクシーが問題になったのは15年ほど前。
もちろん初の女性委員長に期待しかないのだけど、じゃあ、議長ってどういう役職なの?とか、それって間接的に委員長を支配したりできるのでは?とか思ってしまうんだが、誰もそんな疑問を感じないのか。
ぼくの人生がノンストップのハリウッド映画だったらいいのに / セルロイドのヒーローとヴィランが戦う ファンタジーの世界だったらいいのに / セルロイドのヒーローなら痛みを一切感じないし /セルロイドのヒーローなら本当に死んだりしないから
Celluloid Heroes https://scrapbox.io/eyehatesns/Celluloid_Heroes
「普通」に悩んでるすべての人に。キンクスだけは聞いてほしい。特に『この世はすべてショービジネス』だけは.....。
Sitting in My Hotel https://scrapbox.io/eyehatesns/Sitting_in_My_Hotel
SNSで人が気に入ることを書いてしまうとか、文章を書いてても他人からのウケを気にしてしまうって人には、キンクスのこの曲をぜひ聞いてもらいたい。ロックスターですら結局他人の目を気にしてばかり。明るく生きていこう。
Look a Little on the Sunny Side https://scrapbox.io/eyehatesns/Look_a_Little_on_the_Sunny_Side
ロックスターは毎日刺激的でいいなー、それに比べて俺たち一般人は.....って思ってる人たちに素敵な一曲。「ロックスターは休めない、遅刻もNG。下着を変えるヒマもないし、イチャラブする時間なんかあるわけない。昨日と同じ曲を同じように今日も演奏しなくちゃ.....」というまったく救いのない一曲。
Here Comes Yet Another Day https://scrapbox.io/eyehatesns/Here_Comes_Yet_Another_Day
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逆にサラリーマンのOLの世界はいかに波乱に満ちてドラマチックなことか.....。通勤ラッシュですら、ほれこの通り。
Rush Hour Blues https://scrapbox.io/eyehatesns/Rush_Hour_Blues
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みんな自民党には「派閥解体しろ!」って言って共産党には「異なる意見や立場でも許容しろ」とか言ってて、結局どうしてほしいん。
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ビレバンのアイテム、「サブカル」なんじゃなくて単なる「ビレバン」って意味なんだもん。むしろまだあって一応経営できてるのが不思議。あそこで何を買えばいいのか、まったくわかんない。
共産党、志位和夫が「議長」になるらしいけど、議長って「何ができる」役職なん?党の規約見ても「委員会は議長を選任できる」って書いてるだけで「議長は何ができるか」まったく書いてない。「いや、単なる名誉職で実権はないんです」ってんなら、それって天皇と同じやで。天皇制はあかんのとちゃうん。「主人公は民衆。だから党首とかないの。委員長がいるだけなの。でも対外的にいろいろしなくちゃいけないから党首みたいに振る舞ってるだけなの」って世界観作ってるくせに「名誉」職て。結局「えらい」とかあるんじゃん。
あ、ごめんごめん。共産党は誉めなくちゃいけないんだった。共産党素晴らしい。れいわはカス!山本太郎はファシスト!!ゴッド、セイブ、ザ、志位和夫!!
多様な意見を許さないなんて共産党見損なった!とか言ってる人は、一体、共産党に何を期待していたのか……。ぼくは共産党を大切に思っているが、それは連中が「クソ頑固な老舗の職人」みたいな寛容性の低い連中だからであって。天下りの「正解」をたくさん「勉強」して「覚える」ことが「正しい」と思う、「考える」のが嫌いな人たちが一定数日本の政治にいたほうが、それはそれなりの役割果たしてくれると思ってるからってだけでそれ以上何も期待してないよ。当たり前じゃん。
松竹伸幸の除名、党規約の「党内に派閥・分派はつくらない」(第3条4項)、「党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない」(第5条2項)、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(第5条5項)に違反してるって言うんだけど、こんなの何を違反とするかなんて権力持ってりゃいくらでも恣意的に解釈できるんだから、実質共産党の「党員になる」ってのは「はい、何も考えず党の決定に従います」って意味でしかない。違うとか言ってもそういうことです。でも、そういうもんでしょ。結束を取るか多様性を取るか。共産党が悪いんじゃなくて、ここは完全なトレードオフでしょう。そして共産党には歴史的な経緯からも、担ってほしい役割からも「多様性なんて抑圧していいから分派つくんないで」ってだけ。
部落解放同盟に対する共産党の態度とかですら、強く批判したら、除名されても仕方ないんでしょ。「違います」とか言っても何が「分派工作」になるか、客観的な基準があるわけないから運用なんて恣意的じゃん。共産党、赤旗とともに日本の政治でめちゃくちゃ活躍してるし、いいところもたくさんあるけど、端的に言って権力とそれを抑制するシステム作りについて理解なさすぎるし、「支持者」もこんなもん手放しで絶賛すんなよアホか?って話でわ。
共産党に対する態度見てても、なんていうかみんなほんとナイーブすぎると。一つの党が完全に正しい必要なんかないし、現実はそんなふうにできてないから民主主義があって自由主義になってる。自分は政党がすべてについて正しくあることなんて無理だと思ってるし、大事なのはパワーバランスだと思ってる。
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今から何やってんだ?という話なのだが、スペースでももしきやさんと新年会……するのでよろしかったら聞いてください。楽しい話をします。https://x.com/1004ki8/status/1747193662831038877?s=46
チヌ(クロダイ)の塩麹漬け。玄米。紫キャベツのザワークラウト。チャナダルカレー。らっきょう。豆苗のいためもの。
魚は食べていいベジみたいなんを実験中。料理がシンプルになっていっててよいです。
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文春のせいで松本人志が.....って言うけど、粗品の動画見てると「松本人志的な笑いがアップデートされ継承され終わったのは粗品出てきたから」ってなる。文春砲はそうやって「もうダウンタウンはいらんやろ」になった結果って感じ。マジで何でもいじる。大好きな先輩のハゲだろうが、自分の離婚、カントン包茎だろうが、何でも「どーでもええわ」というお笑い。これと高学歴で危ないことは決して言わない令和ロマンで、もう本当にダウンタウンいらないなと。
岡田斗司夫がここで触れているように、松本人志のお笑いの本当に差別的なところは「笑える人間と笑えない人間がディバイドされる」ところなんですよね。「いじりだからダメだ」とか、お笑いなーーんもわかってない人は言って、ダウンタウンと違ってウッチャンナンチャンはいいとか、横山やすしはよかったとか、上岡龍太郎は....とか言うんだけど(苦笑)、同時代のお笑いなんて倫理観で言ったらたいていNGでしょ。
そうじゃなくて「笑えへん人間を置いてきぼりにすること自体に優越感を感じる笑い」なのが、そういう「お笑いがわからない」人たちの逆鱗に触れるんだと思う。文春の報道によって、そのヒエラルキーが逆転した。笑えない人間と笑われていた人たちが「お前なんか元からおもろないだけじゃ」と笑うようになったっていう。
お笑いってそもそもニューロティピカルなところあって。特にダウンタウン的なお笑いってそれがキツい気がする。
松本人志が「もっと霜降り明星番組に呼びたいけどギャラが高い。ハマカーンより高いもんな」って言ったと。これ「字義通り」取ったら「霜降りのギャラがハマカーンより高い」と言ってるだけなんだけど、①ハマカーンは霜降りの先輩である。②ハマカーンなんかより圧倒的に霜降りのほうが人気も実力もあるので、③したがって①からするといやいやいや!と言うしかないが、そうすると霜降りの価値が低いことを自ら認めることになる。④とはいえ②を認めるとハマカーンと空気が悪くなるっていう、どっちに転んでも「やりにくい」キラーパスを投げていることになる。
粗品の返しは「そりゃそうやろ!」。思いっきり失礼をぶっこくことでむしろキャラとして「粗品おもろい」に変える方向で返してるんだけど、これ、さらに言えば「粗品のそういうとこを引き出すための良パスやろ?」ってなったら「確かに」にしかならないんだよな。
でも、まず、こういうの、字義通りにしか解釈できない人や、文脈、人間関係を前提とした情報を読み取りにくい人からすると何が行われているのかまったく理解できないし、おもしろくもないし、笑えない。でも、これが「いじる」ってことなんだよね。
「いじる」からこそその人の「アドリブでの返答能力」「他の人間との差異、個性」や「高度な情報処理」、機知が発揮できる。これは百人一首の時代からそうで、「和歌、いつもお母さんに代筆してもらってるんでしょ?」という藤原定頼の「いじり」があるから、「まだフミも見てないし、フミもしてない天橋立です」って小式部内侍の返しが成立し「こいつマジかしけえ!!」ってなるわけで。
この松本の霜降りに対する発言がわかりやすいけれど、A)霜降りが嫌いなのでやりにくくするために「いじり」にかこつけて嫌がらせしてるのか、B)嫌がらせみたいに見えることを言うことによって、霜降り粗品のキラーな返しが出しやすいように良パスでアシストしようとしてる「いじり」なのかが区別つかない。区別つかないことが「いじり」の本質なので、そんなの見てもおもしろくない!って人もいれば「芸人さんたちがわかった上でやってらっしゃるので。野暮なこと言うな」と思う人だっている。
問題はこういう性質が笑いには結構内在化されて本質的にあったりすること。それを認めたくない人が、ダウンタウンや特定の芸人といじりの「悪質」なか箇所とを等値して、事件にかこつけて「ケガレ」として外部にポジットしてるだけなので、それこそこれが差別意識以外のなんなの?だったりするんだけど、多分そういう人たちは何も考えてないのだと思う。
当然のことながら松本人志がやったとされることなど肯定するわけがないし、単に「疑い」だとしても事の重要性を軽く見るべきではないと思う。
けれども「笑い」がわかってない人間が(ここでの「わかってない」とは松本の笑いで笑えないという意味ではなく、笑いにそもそも深く内包されている価値序列化機能を理解していないという意味)松本の振る舞いから松本の笑いすべてを否定しようとしたり、松本や松本が代表するものにだけがこの手の問題を持つかのように語ることは、松本をヨリシロ、ヒナ人形にして、ケガレをそこにこすりつけ、流し、自分から切り離して自分がスッキリしてるだけ。こんなのが「反差別」だと思ってるけど、それ、差別と同じ心の動きなんですよ。全然何も理解してないでしょ。
自分としては、松本ダウンタウンイズムの正統な、そして過激な後継者として粗品がいるし、ポリコレ全方位対応の新時代版として令和ロマンもいるし、文春なくてもダウンタウンはもう要らないというか、もう要らなくなったから、あるいは「なんとかして万博止める」とかそういう動きから文春が出てきたように受け止めてる。
松本の権力は「言うてもあの人が圧倒的におもろい」「尖ってる」で作ってた。お笑いこそがすべてを超越した独立の価値基準、ヒエラルキーだというイズムによってレジティマシーを持っていた。ところが、松本は「お笑い」以外に「正しい」にコミットしてしまった(ワイドナショー)し、万博の「アンバサダー」になってしまったし、何より大量の「おもろい」が育ってきてしまったため相対的にお笑い基準でも圧倒性を築くことが不可能になってしまった。
その結果の引導。自分にはそのようにしか思えなくなってる。
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松本人志もうろくしたと思ったのは2022年のM1、真空ジェシカへのコメント。「ボケよりツッコミのほうが声大きいのは逆なんちゃうかな。好みかもしれへんけど……」って松本人志は言ってたんだけど、これで「あー、もう完全に「老害」側か」と感慨深かった。「ボソボソ喋るな。もっと元気よくやれ」と言われ既存の芸人から否定されてたのがダウンタウンだったはず……。
でも、もう多分こういうめんどくさいグチャグチャ、SNSやそこにチューニングされた「知性」には通じひんよな……。悪いことしたやつは悪い!それ言ってる人になんか言う人は悪い人と同じ側!いいと悪いがあって悪いもんが悪い!言うて、片っ端から「悪い人たち」を見つけてディバイドして見下してる、その自分たちがやってることが、「笑えない人と笑える人で分けることで笑える人に笑えない人たちを見下す優越感を与える」松本人志と、ある意味やってること同じだってことを理解するの、そうした「知性」に要求するのは大変難しいと思って見下してる。
小泉今日子の「バラエティくだらない」発言とかも、なんか無意味な対立に回収されてて、それ自体がくだらなかった。小泉今日子が言いたいのは倫理的に悪質でハラスメントも多いのでバラエティ番組には出ないということだったのだろうけど、他方でみんなが一生懸命やってるジャンルを「くだらない」なんて言ったらそら「そのくだらないに命かけてる人だっているんだよ」と志らくみたいな人間が言いたくなるのだってわかる。そして別にこの2つの発言は何も相互に矛盾なんかしてないし、むしろ相互に欠けてる視点を補いあってると見ることもできるんだけど、そうとは言われない。ぼくは志らくは嫌いだし小泉今日子にも特に何の思い入れもないけれど、その手のそんな無駄な対立構図を作るケースが多すぎると思ってる。
先日、菅野完の本を読んでたら「言い方は気をつける必要があるけれど長崎広島の被爆は外交カードとして使える」(引用ではなくざっくりそのようなことを)と菅野が書いていた。こういうの見ると左翼は「問題発言だ」と言うだろう。「人を外交カードと言うな」とか。だけど、自分らは「特攻隊は無駄死にだった」とか平気で言うし「気を悪くした?思いやりがない?事実は事実、犬死にだろ」とか言う。要するにみんな単なるポジショントークなんだよな。
「その人はこれこれこんな問題のある言動してる人だからシェアするな。相手に力を与えてしまう」とか言う人もいる。これもまあ自分もそういうことはよく考えるのだけど、どうなんかなと。それを言うなら相手の名前をあげて批判するのも、このSNS上では相手のインプレッションを高め、さらに相手の影響力を高めることになるんだから慎むべきでは。実際そういう考えで、名前を挙げずに何かを批判してる人はいるし、自分も最近そうするように変わってきてる。
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せやけどそれ、いいすぎると「ほな、そんなに素晴らしい考えお持ちなんやったら、ここは一つ、森さんが立候補したらええんちゃうん?はよしーや」にはなりますよね。とはいえ「言われる側の気持ちも想像できてるか」とか「リスペクトあって言ってんの?」ってのはあると思うけど。
「マイルドでゆるい共産党」って「それ、共産党ちゃうし」っていう。共産党は頭硬くて異論は認めず、どんだけ言うても自分が正しいと信じて人の言うこと聞く耳持たんからええんやで!
「どっちからも嫌われる」発言をガンガンしてこっと。この地球には北極と南極以外にも場所なんていくらでもあるのに「北極じゃないなんて南極!」「南極否定とかお前北極やろ」とか言うてる連中から好かれたら、それ、絶対に間違ってるやろ。みんなそんなんやで。目、覚ましや。
「なんでアドバイスしようとすんの?なんで西野がそれに気づかんと思うの?」って言うほどキンコン西野、賢いんだったら、とっととクソみたいに古い、偏見にまみれた女性観を改めたら? 令和やし。あ、とっくにアップデートしとるか。賢いもんな。
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本当の言葉のほうが届かない。人に言葉を届ける、伝えることの難しさを痛感する毎日。
毎日が絶不調すぎて辛い。気圧の上げ下げにとにかく弱くなっており、集中して何かに取り組むのがどんどん難しくなっている。しかも今週はホルモン注射の直前なので本当に状況が悪い。何も楽しいと思えなかったり朝辛くて起きられなかったりするのだけど、そんな中、粗品と粗品が紹介する芸人「ちぇく田」さんのネタで大爆笑してしまった。お笑いとか動画とかほんと尊いよ……。
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ヘレディタリー、始終笑いながら見ていたというか、あれ、怖がらせようとしてつくってないですよね。あと、映像があまりにもよくてきれいだとなんかそっちが気になっちゃってホラーとかにはなんんないっていうか。
どちらかというとシャマラン作品と同じようなノリで見ました。シャマランもあんなんマジで見るやつおらんやん。
おっさんなると、誰かに何かを聞いてもらったら「権力によって話聞かせた」になるし、そうじゃない場合は「おっさんの話なんか聞いてられるか」で聞いてもらえないし、カネで話聞いてもらうのもなんかいろいろ倫理的に非難されてるっぽくてマジめんどくさいんだけど、そういうこともあまり話題にのぼらない気がする。
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「なんでやねん」「アホかwww」「また怖くないほうに振ったやん」「これ怖がるやついるん?」「説明せえやw」「説明せんのかーい!」「きれいすぎやろ」「むちゃきれい」「むっちゃ映像きれいやん」「映画うまっ!」「いつこわなるん」「こわならんのかーい!」で終わったヘレダリティー。
自分の無責任な言動で人間が一人亡くなった。ましてやそれが恋人だったり家族だったり、友人だったり。それも若いうちにそんな重たいもんを背負い込む。これ以上に怖いことってないので、そこまでは「怖い」んですよ。でも、それが亡霊として襲ってくる? 話しかけてくる?とか、「お前悪ないねん。霊とかそういうやつの仕業やねん」ってなったら「ほな、自分のせいと違うかー」って安心できるので、まーーーーーったく怖くないのよ。あとはホラーの形で「おもろい」を展開した美しい映画でしかなくて。見事でした。
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先日、ももしきやの森でも話したんだけど、死んで誰も悲しんでくれないとか、人から忘れられるとか、ほんともう、そういうのはなーーーんも思わないしまったく怖くないんだよね。むしろ死後はとっとと忘れてくれって感じ。人間、ろくなもんじゃないし。でも生きてる間に「これから苦しい思いするのかな……」って心配したり不安になるのはすごく嫌。それだけなくしてくれないかなあ。