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AI絵の良いところはマジで人とのコミュニケーションが苦痛の人も作品にイラストをつけられるとこだな、と思う
ペドフィリアに不安を感じる心情はわかるけど、「児童に性的暴行をする者は”我々普通の人間”とは違う異常性癖者である」とレッテルを貼ることを促進してしまうのも感じる
性的暴行は必ずしも対象に性的欲求を覚えたためというわけではないし、性的欲求を覚えたとしても暴行に至るとは限らない
暴力性を”自分たち以外の外敵”に押し付けるのは暴力に対して根本的解決にならない
(暴力をしない人間も含む)特定の属性をまとめて「危険だ」としてしまうのはそれこそ今までマイノリティが受けてきた迫害の手法であるし、暴力の可能性を”異常性癖”でない者に見ようとしないのは実態と乖離しているよな、と思う(暴力をする者はマジョリティに多い(なぜなら母数が多いから))
だから「アイツは◯◯だから暴力をしたのだ」と言ってもしょうがなくて、重要なのは暴力を起こしやすい状況とか暴力をしたくなる心理状態とかの客観的分析ではなかろうかっつって
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こっちで載せてなかったやつ
絵チャ記録
好きなものの話を聞いたあと返答が返ってきて、その返答に興味を持つという責任が取れないから相手の趣味の話とかマジで全然聞けなくて、会話の種に窮する
好きなものの話をしたあとふーんて言われる悲しさはわかるし、そして俺は他人のそれにふーんてなりやすいタイプだから、せめて自分で聞いといてふーんになるなよ!!!にならないようにしてる 興味を持つタイミングが合わないとふーんになり、社交辞令というものが苦手で、もう、社交に向いてない……
自分が他人に興味ないから他人と面と向かって自己開示をし合おうとしないし、他人も自分に興味ないだろうから自己開示をしない、というディスコミュニケーション
その点で言うと「勝手に自己開示している」というスタイルが一番よくて、だからミニブログで書き物をするのが性に合ってるところがあるんだよな 自分には興味がありまくるので文章化したいし読む人には読んでみてほしいが、面と向かって反応を強要したいわけじゃない(興味ない人にとっては苦痛だから)
昨日から夜中にブルーライトを断つことを初めてみた 強制的にインターネットから離れ、惰性でSNSを見るのをやめる 魂の高まりを感じる
そういえばあんま知らない人同士での好きな音楽の話ってむずくない?音楽知識ないからこのコード進行がどうのとかわかんないし、オタクでイメソンとしてばっか聞いてるからそんな話できないし、別にすごくライブに行ったりするわけでもないので、「いいよね~」以外何も言うことがない
歌詞が好きとか言えばいいのか?でも歌詞が好きって言ったら終わるんだよな みんな好きな音楽の話で何喋ってるの?
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最近頭の中を静かにすることに慣れようと環境音とかBGMとか聞いている 情報を詰め込まないと死ぬ状態をなんとか打開したい
良いBGMあったらMP3売ってないか確認しようかな 夜中はオフラインだからウォークマンにおとしておきたい
全然サブスクで音楽聞かないんだよな ようちゅーぶは見るけど なんでもいいからとりあえず流すということが調子のいいときにしかできないからようちゅーぶで気に入ったのを買うスタイルが一番いい
放題の概念に向いてないのもある あ〜無為に月額料金を払っている〜という負債感だけが溜まり、ろくに利用せず終わる