新居が建ったので引渡されに行ったらなんか仕様と全然違っててボロくてでも「こういうもんなんですよ」というゴリ押しをされそ、そうなのか…?仕方ないのか…?と丸め込まれる夢を見た 仕方ないわけあるか
新居が建ったので引渡されに行ったらなんか仕様と全然違っててボロくてでも「こういうもんなんですよ」というゴリ押しをされそ、そうなのか…?仕方ないのか…?と丸め込まれる夢を見た 仕方ないわけあるか
眼科に行って目薬もらってそれ差してたらほんとにどんどん痒みがなくなってるし目やにも少なくなってる 行くべきは医者
目が痒くなって目が開きづらくなるのって想像以上に生活に支障をきたすんだな それはまあそうか 普段視覚に頼って生きてるしな
なんか某ドラマの感想を見かけたんだけど、「突然『お前アイツに惚れていたんだろう』という台詞によって恋愛感情が明示される」という描写については異性愛描写で死ぬほど見てきたぞ あんまフィクションに親しみがない感じなのかな
俺はあれマジで急に出されるから「え、そうなの?あ、そうなんだ……」ってテンションが下がることしばしば 異性愛描写ってめちゃくちゃ多いからその過程が雑なのもかなり多いんだよな え?そんなん描写されてた?ってなる
作品の雰囲気によるんだけど同性愛描写が薄いことに関してはある程度脳内で整合性が取りやすい なぜなら異性愛のそれより隠そうとしがちだから表に出にくい
フィクションで恋愛感情のお作法学んでるから恋愛感情と思ってなかった描写に「惚れてたんだろう」という恋愛感情指摘台詞が入ると一体どれを恋愛感情として捉えればいいのかバグる 恋愛感情て何よ
「ドキドキする」「赤面する」「独占欲を抱く」「触れ合いたいと思う」などのお作法を恋愛感情の共通点として学習しているのに、それが全然ないまま突然恋愛ですという描写が来られるとわかんないんだ 俺は
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デイリー
1日1クリックパレスチナ支援べ
ブギーポップというか上遠野作品ってまあ「これをわかっていると気持ちいい」みたいな感情が起きやすい作品なのはわかるんだけど、たとえば大げさに、たとえば自分事として、たとえば情感的に作品をうっとりと語るにあたって、なんかどうも作品と現実をつなげてそれを俯瞰して見る自分に酔ってしまう作用があって、それはある程度しょうがないしそれを語る人にとってはもしかしたらそんな現象一回目かもしれなくて、でも俺はそういうの……耳タコなんだーーーー!!!!!!
語っていく人の多くはちょっとうっとりしてすぐ別のところに行ってしまう、なーんか自分語りツールでしかなくて、でも作品を通して自分語りをすることは全然読み方としておかしくはなくて、でもこういうちょっと話題になったときそういうのがいっぱい出てくると疲れる この期に及んで期待しちゃう方も悪いんですが……
異性愛至上主義のみんなが同性愛表現を「でも気の迷いとか人間愛の勘違いかもしれない」と思う頻度以上に俺は異性愛描写にそれを思っている
理性では「友愛などの感情と恋愛には優劣がないため、恋愛だろうとその他の愛情だろうと拘る必要はないのでは?」の問いがあるが、うるせ〜〜〜!!!男と女表象恋愛しすぎ〜〜〜!!!!!!!の感情が勝る