この人が何を逆だと言っているのかわからないけれども、現実に多くのトランス差別は、トランスジェンダーが「充分にその性別らしさを備えていない」と言う内容であることが多い。
そしてそう言う差別はシス・トランスに限らず多くの女性にとって不自由さを強いる結果を招いている。
ぴよりん(kskspiyo.bsky.social)
この人が何を逆だと言っているのかわからないけれども、現実に多くのトランス差別は、トランスジェンダーが「充分にその性別らしさを備えていない」と言う内容であることが多い。
そしてそう言う差別はシス・トランスに限らず多くの女性にとって不自由さを強いる結果を招いている。
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「性別をジェンダーは別」と言う人は、ジェンダーを「ジェンダーロール」の意味合いで使っていることが多いように思う。
「女性として生きる」と言うことと「女性らしく生きる」が別物であるように、ジェンダーが女性であることは、女性らしいかどうかとは別である。
すなわちジェンダーは単に性別という意味であって、ジェンダーとジェンダーロールば別物である、と理解すべき。
「肉体が女性」と簡単に言えてしまう所、いわゆるマジョリティから見える世界にしか興味がないのだなあと感じます。
「女性の身体」と「女性らしい身体」は別です。女性らしくない特徴を備えた女性もたくさんいます。
仮に本質主義に寄り添って考えたとしても「脳もまた肉体である」が故に、トランス女性の身体もまた女性の身体であると言えます。
こう……「ジェンダーは主観」と言い切ってしまう人は、その発想が「苦痛は主観」とかなり近い地点で繋がっていると言うことを意識すべきだと思いますね。
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「マイノリティがマジョリティに優先する」なんて話はしていません。
現実には、社会はマジョリティを優先して作られています。
目が見える人、耳が聞こえる人、歩ける人、喋れる人、多くの人と同じように共感する人、ヘテロセクシャル、性別違和のない人、そういう「普通の人」が基準で社会が作られています。
人権は万人に平等であるからこそ、こういう「普通の人」優先の社会に、さまざまな工夫をしてより多くの人たちが普通に暮らしていけるようにしていく必要があるのです。
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典型的な排除言説で差別煽動なのでもうリンクを貼らないけれど、ジェンダーアイデンティティは「内心の自由」の一つと言えるほど、その人の意思で決められるようなものではありません。
少なくともジェンダーアイデンティティの根拠となる性別違和は、意識とは無関係。それを、内心の自由の問題ではなく基本的人権に含まれない、と言うのは端的に加害的です。