というかね、そもそもどっちかってと最大人員3人くらいで語る友人関係を好むタイプで、テーブルが2つ以上になるグループでの飯とかも苦手なので、無理なの。LTLみたいな、いわば巨大なグループに存在させられるのが。
ちゃいろのニポン語垢
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というかね、そもそもどっちかってと最大人員3人くらいで語る友人関係を好むタイプで、テーブルが2つ以上になるグループでの飯とかも苦手なので、無理なの。LTLみたいな、いわば巨大なグループに存在させられるのが。
いずれにしても、結局LTLのない鯖に落ち着いてるところからして、コミュニケーション重視ではないわな😹
面白いもので、公開しない日記は別途もりもり日々書いており、この「公開する」という前提の有無で書く内容には若干の変化も加わるのだが、かといって、「公開する」からと言って、第三者の「ため」に書いている自覚はなく、大ステートメントという訳でもなく。
第三者の目に止まっても良い、 and/or 目に止まって面白いことが起きてもよい、みたいなのはいくらかあるけど、それが積極的な動機でもなさそうな。
ああ、多分、一番は、人目に触れる意識の下、支離滅裂さからいくらかは論理性に寄せた形で思考をまとめたい、みたいな意識はあるのかなー。その都度、投稿したい内容によりけりで上記諸々の比率は違いそうだけど。
いうても、完全に部屋にこもってブツブツ言うのとは質が違うので、これも広義の、コミュ障のソーシャル欲求?のひとつなのかもしれないけど。
いずれにせよ、この感覚は恐らく、ネット以前にはなかったようにも思う。
SNSのあり方か〜。
SNSなんて自分の思考ダダ漏れの言い散らかしの、とはいえいくらかのフィルタの加えられた明示的サトラレでしかないのだが。
パ🇵🇰は老いも若きもわりと政治に関心が高かったのに、人気の元首相政党に対する現政権のエグい妨害工作の数々を見てて、若い層(めっちゃ分厚い)が諦めに入って投票行動にも影響が出そうな雰囲気を聞いてたんだけど、少なくともSNSで見かける若い人たちはそこそこちゃんと投票してるっぽくて、投票率の低い反面教師ニポン人として、パは投票率あんまり下がらんとよいなあ…と思いつつ、結果はどうあれ、不正で捻じ曲げられないとよいなあ…と、切に願う。あーみーん。
元首相政党が、これまでのシンボルだった🏏(元首相が元クリケットのスター選手だったから)を投票用紙で使用禁止にされて(現与党の妨害工作)、識字率の低いパの選挙で有権者(元首相の政党が人気が高い)が候補者選択に困らせられてるというのは聞いてたけど、なるほど、投票用紙、こんな感じなのね。
QT: https://mastodon.social/@browneyes/111895518681518212 [参照]
むしろ9月11日当日に、りめんばー911的な感じで「あの日の自分」語りをする気は失せてるのだけど、時折こうやって鮮明に思い出すし、スケールデカすぎて語彙力…ってなるくらい、いろいろとんでもなかったし、確かに世界の潮目が変わる出来事ではあったし、あそこからの波紋が未だにそこここで揺らいでる感じがある。
先日古本で買った、911の頃のパ🇵🇰の生々しい現場にいた人の日記的記録本を細切れに読んでる。おれにとっての第二次パにどっぷり期の初期から薄々知ってた本なのに今まで読んでなかったのだけど、今や実際に知ってる登場人物たちまで出てくるので生々しさも倍増する。
思えばまさに911の頃は、パからは精神的にも全く離れてた時期ではあるものの、当時より数年前にニポンから米国に移住した、一番仲の良かった、だけど丁度音信不通になってたパの友人が現地で憎悪差別に巻き込まれるのでは、と気を揉んだりだけはしてた。彼とはその後暫くしてから「FBでバッタリ出くわした」けど。
反面、まさにあの前後は毎日長々やり取りをする米国人のチャット友だちがいて、あの夜(現地朝)もそいつから「TV観ろ!!!」と一報が入り、互いにすごい情景を見ながら標準的な米国人ならそうなるんであろう反応の変遷をもリアルタイムで生々しく聞かされてたのであった。(が故にパの友人への心配も大きくなった側面もある)
あの頃はパとは離れてたのにも関わらず、おれにとっての911はほぼイコールパだったな。
…と、もはや「現代史」の1つみたいなあの時期を、まさにその地からの視点の記録を通じて、知らなかった側面を追体験する本というのがちょっと不思議。
歩きに弱くなったわけじゃないんだよな。荷重負荷に弱くはなってる。気がする。
でも昨日は単純に歩きか。傾斜には弱いw
てか、おれが保育園のときとか、外散歩なんてした記憶ないんだけど、いつの間にどうして外散歩メニューなんて定着したんだろうか。今更ながら。
教育の一環なの?
カゴに乗ってない幼稚園児のお散歩久しぶりに見た気がするけど、あれだけの子どもかごに乗せずの誘導ってなかなか気が張るよな。
そうだった。心臓破りの坂上の大使館、二往復って思ったけど、二度目、坂上った所で月光ちゃんを迎えに出た関係者に会って、じゃあ一緒に迎えにいきましょう!って、坂また下りて、関係者が間違って誘導した逆側の地下鉄出口まで向かってまた坂上ったから三往復したんだった。どうりで腰にキてるわけだよ…。
ブルスコ解禁で目についたのが、やっぱり解禁でようやく試してみる系の人は意外と多いんだなあってこと。
であれ
であれ、何某かのSNSやってるような層は、招待もらってまで…レベルではあっても、使えるなら試してみるレベルには関心あるんだろな。
見かけた範囲「でもおれは でいいや」系の発言が多く見えるのは、定着層の発言が多いからだろうから
系への流入や流出はそんなに影響ない気はする。
そして、ブルスコについての第一印象から Twittery (ついった風?ついった的な?)なる造語を知ったし、わりと既に比較的普及してるんだってのも知った。