なんか最近、フィクションとのつきあい方が下手な人が増えてる気がする。大雑把に丸めると、期待を裏切られることについて異常に傷つきやすいというか。
なんか最近、フィクションとのつきあい方が下手な人が増えてる気がする。大雑把に丸めると、期待を裏切られることについて異常に傷つきやすいというか。
twitter.com/search?q=%E3%8… 「クラスタ(ー)」という言葉をTwitter以外の場所で聞いて驚いている人々。
@another どうやらツイッターの検索エンジンは、例えば「10000年ぶりに」を「10000年」「ぶりに」と切るらしく、「年ぶりに」で検索して実例をヒットさせることができない。
@another 今日さっそく「きちんとした高校生」の良い実例を知ったので幸せである(今春卒業だから例として微妙かもだけど。否、微妙なのは季節の方だ)。
江戸幕府の成立とイングランド・スコットランド同君連合の成立が同じ年であることは、つい数日前に twitter.com/Mahal/status/5… から教わったわけだけど、今日のja.wikipediaによると、なんと日付まで同じとのこと。
「鼻毛を抜くと最悪死ぬ」と知られているということは、つまり、人類史上少なくとも一人は、鼻毛を乱暴に抜いたせいで死んだ人がいたということである。
自分の場合、日和ったことをしようとすると即座に叱る「脳内こわい人」を置くことによって業務に支障が出ないようにしているけど、多分万人向きのメソッドではない。
d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu… Jargon Fileの「Unix and C are the symbiotic halves of an extremely successful replicator」( retrologic.com/jargon/R/repli… )を思い出した。
今はまた表に書かれた選択肢が増えている。でもその選択肢の数は人によって違うんだ。そして、選べるからといって、その方が幸せとも限らない。でも、昔は誰もが一つの選択肢しか選べなかったんだ(と記憶している)。それよりはちょっとだけマシなんじゃないの?
「次の表から選ぶことができます」と言ってるのに、実際の表には一つしか選択肢が書かれていない。僕が80年代頃の社会に感じていた窮屈さとは、例えて言えばそのようなものだった。一つしか選べないならなんで表にするの? 昔はもっと選択肢があったの? みたいなことを漠然と思っていた。
夢の中で取り返しのつかないことをして、目が覚めてから「ああ、夢でよかった」と思うことがしばしばある。現実の方が夢より過ごしやすいことの幸せを、とりあえずは噛み締めたい。