1910年(明43)の日英博覧会は植民地主義国家としての文明をアピールする会だったのだけど、人間動物園みたいなことやっていると同時に、「婦人出品」にかなり力を入れていたようである。
当時の政府にとって「文明国」である条件として、たくさんの植民地をもっていることと、女性が活躍している(ように見える)ことは重要だったようだ。
https://aska-r.repo.nii.ac.jp/records/5763
1910年(明43)の日英博覧会は植民地主義国家としての文明をアピールする会だったのだけど、人間動物園みたいなことやっていると同時に、「婦人出品」にかなり力を入れていたようである。
当時の政府にとって「文明国」である条件として、たくさんの植民地をもっていることと、女性が活躍している(ように見える)ことは重要だったようだ。
https://aska-r.repo.nii.ac.jp/records/5763
「茶道が昔から女性教育において果たしてきた役割は、決して些細なものではない」って茶道が女性の教養となるのは明治以降なのだが(この引用した評はたぶんイギリスでの評)。そう誤解されるような展示を意図的にしていた可能性はあるけど。
「日本では女性に参政権はないが、国の歴史全体を通して、女性は国政に大きな影響を及ぼしていたからである。極めて素晴らしい日本の和歌のいくつかは、女性によって書かれており、現在の皇后は、歌人としてその能力が広く認められている。」.
さらに「美術工芸については、レース編み、金細工、銀細工、刺しゅう、ならびに錦織の絶妙な見本が展示されていた。日本の女性が使っている楽器の展示や、生け花の実演もあった。また、有名な茶道についても、何らかの展示があった。茶道が昔から女性教育において果たしてきた役割は、決して些細なものではない。欧州の女性が喜んでいたのは、繊細な優美さを備え、実用的でも芸術的でもある化粧道具や、日本の女性が作った、重厚な刺しゅうのある立派な現代的衣装、ならびに、日本女性が散文や詩の分野で成し遂げられるものを示した写真展示とコレクションであった。」「婦人出品」のセクションは、日本の女性の地位が、欧米で思われているように決して低くなく、工芸、芸術、文学の分野において素晴らしい才能を発揮していことを英国人に示す効果があった。
「長崎で見たときはなんでもなかった踏絵が私の心にかかりだしたのは、東京へ帰ってきてからだった。(中略)
あの黒い足指の痕を残した人びとはどういう人だったのか―――と誰もが考えるように、私も考えた。自分の信ずるものを自分の足で踏んだとき、いったい彼らはどういう心情だったのだろう。」
「踏絵に足をかけていった人びとの話は、私にとってけっして遠い話ではなかった。むしろ切実な問題だった。〈信仰〉などと言うと縁遠い話になるのなら、〈自分の生き方や思想・信念を暴力によって歪められざるをえなかった人間の気持〉と考えてみればどうだろう。誰にでも痛いほどに分かる問題のはずだった。
踏絵の足指の痕は、他人事ではない。」
遠藤周作『沈黙の声』
明治大正期の資料探っていると、やっぱりこの時期が博覧会の季節で、というのも交通の発達と中央集権国家の確立を機に物資を一箇所に集めて展覧しよう、それで各地で品質なり新規製品開発なりの刺激としようというのが背景にある。