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人間中心設計とかどこいったんですかねぇ...。システムは人間のためにあるべきという主張だったんだけどな。
AIを通じて、AIシステムのいわば利用者と、そのターゲットとに分離され、利用者側の安全のためにターゲットが自動的に排除される。排除される存在について、AIシステムの内部で生活する人間は知らない。
別に排除ってわけではないけど、Gの作りだしているGoogleAnalyticsなどを含むマーケティングツール群は、まさしくこのような構造をもっている。ウェブの向こうにいる消費者は、完全に数字でしかない。企業は行動目標をまず定め、その達成のための指標としてKPIを定める。このKPIの設定のなかで、ユーザーは数値になる。Googleは数値目標による業績管理をずっと推進してきた。それによってGのマーケティングツールは売れるのだから当然のことだ。
こういうシステムと、Lavenderはまったく並行現象のように見える。
この記事はかなり衝撃的な内容だけど、とくに驚かされるのが、下級戦闘員に対して無誘導ミサイルを使ったという理由で、「重要でない人物に対して高価な爆弾を無駄にしたくない。それは国家にとって非常に高価であり、精密爆弾は不足している」。
爆撃にも、AWSのコストアラートや最適化提案のようなものでもあるのだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c72d4cbc32aa5577eac494dfd75b43652a20555f
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原爆開発の周辺にいた人達、どれくらいサイバネティクス関連だったっけな。現代の戦争、企業活動もそうだけど、サイバネティクスの思想がかなり根深いところに浸透しているようにおもう。
世界を名目的に定義すれば、世界とは私たちの操作の対象Xである、となろうが、そのように語ることは、科学者の認識のあり方を絶対視することであり、それはまるで、かつて存在し、また現に存在しているすべてのものを、たんに実験室に入るためだけに存在してきたかのように見なすことである。「操作的」思考はある種の絶対的人工主義となり、サイバネティクスのイデオロギーに見られるように、そこでは人間の創造活動は情報の自然的プロセスから派生したものとなってしまうが、じつは、そのプロセス自身、人間機械をモデルに考えられたものなのである。もしもこの種の考え方で人間と歴史を捉えようとするならば、そしてもし、私たちが直接的な接触や立場によって人間と歴史について知っていることを知らないふりをし、退廃的な精神分析や文化主義がアメリカで行ってきたように、人間と歴史を抽象的ないくつかの指標から出発して構築しようとするならば、人間はまさにそう見なされたとおりの操作対象(manipulandum)となってしまい、私たちは、人間と歴史に関してはもはや真も偽もない文化体制のなかに、[すなわち]目覚めさせてくれるものの何一つない眠りか悪夢のなかに入り込んでいくことになるだろう。
–『眼と精神』(モーリス・メルロ=ポンティ、富松保文訳)
梅棹忠夫が漢字廃止論者だったのは、技術フレンドリーな書記体系にする必要があると考えていたからだったとおもう。とくにこんなに漢字がおおくてはタイプライターをデザインできないから、文字を減らす必要があった。日本語ワードプロセッサによるカナ漢字変換システムの発明には、漢字廃止論者としてがっかりしてしまったそうだ。
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【後編】 日本語デザインを変えた技術 発明100年に1から知りたい「写植」の話║モリサワ note編集部
https://note.morisawa.co.jp/n/n010ef37fd2cf
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