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小島憲之による、夏目漱石の漢詩文についての論文に触れた。こういう書き出し、論文というよりエッセイ風だから真似してはいけないのだけど、味わいがあるよなぁ。
学問がもたらす人生の余裕というか、深みというか…が感じられる。
(小島憲之「漱石の詩語」、『講座夏目漱石』5、有斐閣)
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漢文なんでやるの?っていう問への実用性重視な答えは、昔の公文書が読めないと困るからだよってひとまずは答えておきたい。
日本国憲法や昔の法律は漢文訓読調で書かれてるよね。例えばこんなの。
「検閲は、これをしてはならない。」
普通の日本語なら「これ」はいらないよ。でも「これ」が入っているのは、「学而時習之」を「学びて時に之を習ふ」と読んだのと関係あるよ。一字も落とさないように読んだほうが原文に忠実だよねって考えたので、「これを…する」という、純粋な日本語にはない表現で読んだんだよ。
まあ、上の例は簡単だから、別に漢文を知らなくても意味はわかるけど、我々が普段使ってる日本語も漢文由来の熟語や言い回しは普通に出てくるし、漢文をやらなかったせいでほんの何十年かくらい前の文章(特に公文書)がからっきし読めなくなる可能性があるってのは、ちょっともったいないんじゃないかな。
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