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外に出て一時間歩いただけで汗みずくになった。長袖長ズボンという服装だから当然そうなるのだけれど、野良仕事では極力肌を露出したくないのだった。
先日の雨の効果は既に無くなって、山から引いている農業用水がふたたび心細い状態になっている。これは数日中に雨が降る予定なので(え?台風が来るの?)まあ良いかな。
それよりも、稲がべたっと倒れている所がある。これ、何とか出来るのか?去年もこれで困ったのだった。ChatGPTに聞いたら、一株一株添え木を当てろという御託宣を頂いたので、そんなこと出来るか、と怒ったら、すみません、と謝られた。で、何もしなかったら、やっぱり困ったことになった。今年はどうしようねえ。
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「人権文化をすすめる町民の集い」に参加して帰ってきたところです。区長(≒集落の自治会長)だから、町のさまざまなイベントに動員される訳です。
昨年は酷かったんですよ。小学校の校長を退職したジジイ(あえて蔑称を使う)が「超高齢社会と8050問題」と題して講演したのだけれど、自分から「ネットでいろいろ見ながら勉強してます」と言うだけあって、どこがどう人権の問題なの?と言う中身の無い話に終始したので、腹が立って途中で席を立ったぐらいでした。
https://kotobaphil-mtdn.eu/users/softark/statuses/110944799546554798
でも、今回は良かった。
講演ではなくて、Colorful Kyoto (https://colorful-kyoto.com/) のリーダーであり、トランスジェンダーであるゆうきさんと、その父親である松本さんの話を聞く会だった。
二人とも、事実をそのままフラットに伝えるという姿勢で話をされた。ゆうきさんが自分自身のセクシュアリティに気付いて受け入れるに至る過程を幼少期、中高時代、大学時代、留学時代、社会人となった現在に至るまで順を追って説明してくれた。
ゆうきさんが最も辛かっただろうと思うのは中高時代ですね。自分は同性が気になる、好きであるらしい、という「気付き度 20%」の時代。
周囲の人たちとは違うし、「気持ち悪い」と言われて、隠すようになった。
友人に本心で話せない、自分も本当の気持ちが分らない、面倒くさい、考えるのをやめる、自分に興味を持たなくなった、と自分で振り返る「受け入れ度0%」の時代。
これは父親の松本さんも、自分に興味を持たないなんて辛かっただろうな、もっと早く気付きたかったな、と言っていた。
大学時代は「気付き度50%、受け入れ度30%」。親元を離れての一人暮しで少し心に余裕が出来た感じ。
留学時代は「気付き度80%、受け入れ度70%」。LGBTQ+コミュニティとの出会いによって、一気に視野が開けた感じ。「はじめて大人や友人に相談、大学の先生や大学の友人に認めてもらえた」
社会人となった今は「気付き度100%、受け入れ度100%」。職場にも恵まれたようで、「多様な文化や国籍、セクシュアリティが交じり合う環境 自分を隠さずに働くことができた」と言っている。
そして、やっとと言うか、親へのカミングアウト。
ゆうきさんがカミングアウトしたときのことを父親である松本さんが振り返って話した。
私もパートナー(松本さんは「妻」ではなく「パートナー」と言った)も最初は受け入れることが出来なかったと言う。「まさか、そんなことはないだろう」「一時的なものでそのうち普通に戻るだろう」「育て方を間違ったのかしら」、、、云々。
面白いのは、ゆうきさんが最初にカミングアウトしたのは、本当は父親ではなくて、年の離れた妹だったこと。そして、妹は、あ、そうなの、と易々と受け入れてしまう。
松本さんは教育者であり、学校の現場で人権教育に関わってきた人なので、軌道修正は比較的容易だったように見受けた。いろいろ漁って本を読んだり、ゆうきさんから薦められた本を読んだりして、知って、受け入れるに至ったそうだ。
知るということは大事だよね。
ゆうきさんがやっているカラフル(Colorful Kyoto)というコミュニティの紹介もありました。
「京都をもっとカラフルに」
大切にしている3つのこと
・共存 ... 特別ではないよ
・可視化 ... 身近にいるよ
・発信 ... 楽しく生きているよ
「特別ではないよ」ということに関しては、トランスジェンダーではあるけれど、それは属性の一つに過ぎないから、それだけをもって分類して分った気になるのはやめてくれ、ということが(父親の松本さんから)言われて、なるほど、それはそうだなと思った。
もうひとつ、「カラフル」は居場所作りのイメージとして、「みんなで手を繋いで輪を作ろう、一緒に話そう、理解しよう」というのではなく、「手を伸ばしたら繋がれる環境を作ろう、そんな環境を少しずつ拡げていこう」ということを考えているそうで、これは良いよねと思った。LGBTQ+ のコミュニティのみならず、個人を大切にするコミュニティは全てそうあるべきだと思う。
という次第で、動員されて(あまり気乗りせずに)行った集会でしたが、行って良かった。