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一度は観ておくかと思って、映画『永遠の0』をアマゾン・プライムで観た。
厄介なことに、良い映画だった。
原作を読んだことは無い。これまでネトウヨとしての百田しか知らなかったから、彼の著作を読む気にはなれなかった。多分、今後も読まない。
今回、いわば粗探しをしてやろうという悪意を持って映画を見始めたのだが、物語の面白さに引き込まれて、あれよあれよという間に2時間が過ぎてしまった。
一箇所、特攻についての否定的言動(ほとんど嘲笑)に対して登場人物が反発する場面があって、そこだけはひどく気になった。いや、そんな風に特攻に言及するなんてバカでしょ?藁人形を立てないでくれよ、みたいな。
この映画に描かれているものに難癖を付けるのはかなり難しくて、批判するとすれば、何が描かれていないか、何が所与の条件として無批判に前提されているか、ということを論じるしかないと思う。しかし、戦争を扱う映画や小説では、それはテーマではないから言及しない、というのはよくある事だから、難しいな。
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今日の野良仕事は田圃のヒエ引き。
写真の田圃1枚だけ毎年大量のヒエが生える。田植え後に除草剤を使っているのだが、それでも生える。今年も6月下旬に手作業で草引きをした。最近、穂を付けた立派なヒエが目立つようになったのでここ二、三日かけて田圃全面を歩いてヒエ引きをした。
用意した水分も飲み干したし、一通り終ったので、今日はこれでおしまい。
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映画『永遠の0』の感想を少し詳しく書きます。
まず、良いと思ったところ
1) 謎解きの形で物語を進める構成
祖父が義理の祖父であることを知った孫たちが、若くして特攻で死んだ実の祖父の海軍航空隊員としての行跡を知ろうとして、祖父を知っている元軍人達(ほとんど全て死期の近い老人達)に聞取り調査をするという形で物語が進められる。最初に分るのは、祖父が一流の腕前を持つ飛行機乗りでありながら、分が悪い戦闘場面には近寄らない臆病者・卑怯者として有名であったことだ。なぜそうだったのか、また、その彼がなぜ特攻を志願して死ぬに至ったのかという謎解きが物語を興味深いものにしている。
2) 日本軍の無能さに対する正当な批判
米軍空母を叩き損ねた戦術的失敗とか、零戦の航続距離を無視した無茶な作戦とか、訓練飛行で事故死した隊員を「大事な兵器を破損したバカ」と呼ぶ上官とか、挙げ句の果ての特攻作戦とかについて、物語の中で主人公は批判し、場合によっては身を挺して抗議する。
ただし、これは、こんなバカで無能な軍隊じゃダメだという批判であって、あの侵略戦争そのものに対する批判にはなっていない。
映画『永遠の0』良いと思ったところの続き
3) 教育の怖さを描いている
軍国日本のイデオロギーを本気で信じていた人たちが数多くいたことを描いていたのはこの映画の美点の一つだと思う。
4) 俳優
主人公の岡田准一、かっこよい。その他、彼と関わる飛行機乗り達が、なかなか渋い。
5) 零戦や軍艦
これはねえ、残念ながらと言うのはおかしいけれど、かっこいいんだなあ。武器や兵器って、殺人と戦争の道具だから否定しなきゃと思うのだけれど、美しかったり格好良かったりするんですよね。これは、もう、何か仕方がないような気がする。
良いと思ったのはそんな所かな。書き出してみると、大した事ないような気もしてきた。
次に良くないと思ったところ
1) 粗雑な特攻批判を藁人形として立てている
作中、孫が友人たちと合コンをする場面があって、招かれた女性たちがいかにも軽薄そうに特攻をテロと同一視したりバカにしたりするので、孫は腹を立ててその場から立ち去る。観客としては、そう軽々しく特攻を否定するな、という孫(および作者)に同感することが期待されているような所だが、ここは見ていて気分が悪かった。
最後に、映画『永遠の0』について、これは良くないと思ったと言うより、この映画の限界なのだなと思ったところは、最初にも言ったが
1) 日本が行なった先の侵略戦争について大事なところが描かれていない
主人公が飛行機乗りであるために、戦闘行為が同じ立場の敵戦闘員に限定されるということが大きいかな。命がけではあっても、オリンピックの格闘競技のように鍛錬した技術を発揮して勝敗をあらそうような一種の爽快な世界を作者は作ることが出来るし、観客もそれを楽しむことが出来る。あの侵略戦争の残虐性と非人間性に言及しなくても済んでしまう。
2) 与えられた枠組みの中でのみ最善を尽くす
主人公は戦争に勝つよりも生き延びて妻子のもとに帰ることを優先し、そのことを親しい者には表明する。臆病者・卑怯者と言われても、その考えを捨てない。特攻要員の訓練教官になった時も、生徒に合格を出し渋るというサボタージュを行なう。性根のすわった抵抗ぶりである。最終的に自ら特攻に志願したのも、教え子を特攻で死なせたことへの自責の念に耐えなくなったからであった。
従って、枠組みそのものへの抵抗まで求めるのは酷かも知れない。
戦争映画で記憶に残っているのは、五味川純平の『人間の条件』とクリストファー・ノーランの『ダンケルク』です。
『人間の条件』はずっと昔に一度観た。今でもアマゾン・プライムで観ることが出来るのだが、去年の3月に、もう一度観ようかどうしようかと迷っていた。まだ観ていない。
(追記:あ、FODチャンネルに登録しろ、だと?)
https://kotobaphil-mtdn.eu/users/softark/statuses/110107285832135839
『ダンケルク』はちょうど去年の盆休みに観て、英軍戦闘機のスピットファイアがかっこ良かったと書いている。
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