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> 「主に信頼」と、動詞「信頼する」の目的語を示すのに「を」ではなく「に」を使う。
"believe Him" ではなく "believe IN Him" だから、ですね。
自分をこちら側に置いて、自分主体で何かを信じるのではなく、相手の中へ自分を投げ入れるようにして、相手主体で信頼する。
「南無」や「帰依」もそういう意味だから、「南無イエス・キリスト」で良いんだ、と教わった。 学生時代、無教会派クリスチャンの集まりで。
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日本は有効なのは「直訴」のみの「民主主義」社会。「直訴」とは「仮にそいつの言ってることがただしかろうが、それを受けて変更改善することになろうが、直訴したやつは一家眷属まで全員処刑」。
「"日常"というものは、既に停止しているのであるーー"平和な現在"という状態の内に。"批判"とは勿論、この停滞を衝いて"未来"を要求することである。江戸の封建体制に於いて、このことは何を意味するのかといえば、そのまま体制転覆を意味する。江戸の当時、直訴が一家眷属を含めての死刑という大罪であったのはそういうことだ。たとえその批判に理があっても、結果としてその批判を受け入れて事態が"改善"されることはあっても、批判そのものは悪である。現在は既に"太平"というものの中に完了してしまっているのであるから、それに対する"批判"などというものが起こる筈がないーーだからこそ、それを唱えるものは言語道断の"悪"なのである。」(橋本治『江戸にフランス革命を!』)
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