さむにこ
あずにゃん (@ Another Broken Egg Cafe) http://foursquare.com/v/5fb3e05225f1c3092ee2f8a1
Posted to Hatena Blog #はてなブログ
2021年の目標 - 3月まとめ - osa_k’s diary https://osak.hatenablog.jp/entry/2021-monthly-report-mar
もっと速く文章書けるようになりたい。30分〜1時間くらいでまとめられる量の文章を定期的に吐き出す練習したほうがいいのかな
本とか漫画結構読んでる気がするんだけど、毎月振り返ると全然思い出せないの謎だな。TwitterやPixivで読んだやつとかブログに書けないやつばっかりなのかな
college ruled composition notebookというやつ、紙が薄すぎて厳しい。アメリカでまともな質のノートを買うための知見が欲しい
ゲーム作ろうとしたらライブラリ整備で一生を終えるのありがちですねえ!要素技術を盆栽するのがゲームで遊ぶのと同レベルに楽しいねんな
自分で遊びたいゲームを作るという内的動機だとプログラミングが楽しすぎるのでゲームは完成しなくて、誰かに遊んでもらいたいという外的動機だと割とできる(中学・高校の頃は文化祭に出すゲームを定期的に作れていた)
高校の時も無限にライブラリ盆栽していたけど、どこかでやめないとゲームは完成しないし、だいたい実戦投入しないで設計したライブラリは実世界の闇の壁にぶつかって結局設計を曲げることになるので、物を作るためにライブラリを作りたいなら小さいイテレーションを回すのが大事なんですね
陶芸家の喩えで言うなら、気に入らない自作の皿が家の中に存在しているというだけで恒常的に苦痛を味わうことになるんですよね。私はそれに耐えられるほど心が強くない
まあ自分の達成したい価値とその過程における評価基準にギャップがあるなら自分を破壊しないとどうしようもなさそう
厳密には自分を破壊するか1日に1万行コードを設計して書ける超絶優秀マンになるかの2択なんだけど、後者はあまり現実的でないため……
たとえばコンポーネントを入れ替えられるような仕組みで書き始めたとして、コンポーネントがどれだけマトモでも「入れ替え可能にするシステムの仕組みが気に入らん」となったら根本的に作り替えることになりかねない
業で作ったシステムで似たような気持ちになってスクラッチから書き直すことを提案したら、マネージャーにそれはちょっと……と難色を示されて、結果としてそのシステムはところどころ破綻しながらも利益を生み出し続けているので、組織ってよくできてるなあと思った(小学生並の感想)
プラガブルな仕組みが実際に必要になったところを目にせず、将来必要だろうと想像して実装した場合、それが実際に使われる可能性は限りなくゼロに近いという気持ち
しょぼいシステムを育てていくと次第に臨界点を超えてプラガブルな仕組みが必要になり、その段階に達すると本当に価値のあるプラグインシステムを書けるんだけど、そういう道筋を見出して納得して我慢するためにはそれなりの経験が必要っぽい
納得を育てるために有効な手段としては加齢があります。脳が衰えるといろいろなことが曖昧になってくるため……
optimalでないシステムを運用するのがつらいという気持ちは分かるけど、社会として見るとより大きい最適化問題を解いた結果ではある
さもなくば数学をしながらキノコ狩りをして生きるしかないと思っているけど、真面目に考えれば他の落とし所もあるのかもしれない
オレンジ氏、思想の評価基準が人間社会の維持(そしておそらく科学的なイテレーションに基づく社会の発展の維持)と密接に結びついてる感があるな
人にも人の営みにも価値はなく、ただ真理にのみ価値があるみたいな価値観はあんまり受け入れられないし、人によっては理解もできないっぽいんだよな