ホメーロスやウェルギリウスがどんな詩を作ったか,万巻の書物を繰り広げて逐一確認を取りながら考究するのではなく,むしろ巧まずして自ずから口に詩が上るほどに詩聖の言語と文体に習熟し自身が対象そのものになることを通して答えを得るのを目指すべきである,という命題に対して若い日の私が与えた答えは,それは理想ではあるが不可能であり,不可能事をなそうとするよりは対象との隔たりの自覚に基づいて,錯覚的な「習熟」からは意図的に距離を取る方が学的に誠実であろう,というものであったが,それが正しかったのかわからない.