体が石のようだ
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かっこいいな.「Internet Archiveの発表によれば、これらは2008年から2010年にかけて匿名の学術グループが収集していたもの。彼らから1.3TBを超える49万曲分が提供され、公開にいたったと述べられています」
MySpaceから大量消滅した楽曲、49万曲分がInternet Archive上で復活。匿名の学術グループが収集 - Engadget 日本版 https://japanese.engadget.com/2019/04/06/myspace-49-internet-archive/
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鳥,あいかわらず手ではなく口を動かす人間が多いが,手ではなく口を動かしていても収入がある身分もあるのか.
佐渡沖に海洋生物の死がい 傷痕も 高速船事故との関連調べる | NHKニュース https://www.google.co.jp/amp/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190408/amp/k10011877051000.html
普通に頭から書いているときには三単現のsをつけ忘れるというようなことはまずなくても,書きあがったものを推敲・添削していくなかで主語を改めて数が変わったのに動詞の方を放置してしまった,みたいなのは普通にありうる(結果だけ見ると「何でこんなミスするの」となってかなしみ)
おお,鳥たちよ,私は悩んでいる
私の気に入った住まいは海辺だ
だれも決して私の鳴き声を聞かない
私は危害を加えないので,世の中で
一瞬たりとだれも決して私から害を受けない
私は海辺で悲しそうに座り
いつもふさぎこんで嘆いている
私は水を切望して心を血まみれにしている
もし水が足りなくなったら,私はどうしよう
私は海の生物ではないので、不思議なことに
私は海辺で唇が乾いて死ぬだろう
たとえ海が種々の形に波打とうとも
私はそれから一滴さえも飲めない
もし海からの一滴の水もなくなったら
私の心は悔しさの火で燃えるだろう
私には海への愛が十分にあるので
私の頭はこの種の空想でいっぱいだ
今私は海への悲しみだけが欲しい
アッタール(黒柳恒男訳)『鳥の言葉――ペルシア神秘主義比喩物語詩』(平凡社 2012年)アオサギの話から(p.35)
不正移管によるドメイン名ハイジャックについてまとめてみた - piyolog https://piyolog.hatenadiary.jp/entry/2019/04/08/053000
これは別に現所属先を腐すのでもなければ,況して愛校精神――その手の忠誠心は私にはまったく欠如しているので――によるのでもなく,単に古い書類の整理をしていた関係で昔の授業資料などに継続的に接したため思うことだが,ここ最近,学部時代に受けた教育の水準は高かったのだなぁと改めて感じる.
私が入学してほどなく退職されてしまったH教授が担当していた,1-2回生向けの『哲学概論』などはとても巧みに構成された授業だった.「最先端の知見の伝授」というよりも「基本的な主題や問題の考え方それ自体」を会得できるよう配慮されていて,むしろこういう授業を作る方が熟練を要求される仕事なのだなと思う.
授業運営についても――こういう言い方をするのはよくないが――私立大学の文系学部で大人数を相手にする講義の運営には様々な困難が伴うけれども,その辺をとてもうまく采配されていた.
指導教員は「好きにやってね」路線の人でしたが,ゼミの全体の導入として「校正のやり方」を数回かけて教えていて,あれも今思い返すと非常によく考えられたものであったことがわかる.
「えっ大学のゼミでそのようなことを」と思われるかもしれないけれども,校正の作法を知っておくことは具体的な技術としてもものの考え方の面でも現在非常に役に立っていて,というのもおよそ文明社会における仕事のかなりの部分に,自分や他人の書いたものに繰り返し手を入れていくという作業が含まれているため.