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楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(訳:三浦裕子/中央公論新社,2023年4月/原書:楊双子《臺灣漫遊錄》2020年)

昭和13年(1938年)、日本統治下の台湾。若き人気作家として「内地」から招聘された青山千鶴子に、現地通訳としてついた年下の女性は、偶然にも名前が王千鶴。長期にわたる台湾滞在を全面的に手助けしてくれる多才な千鶴を、千鶴子は大好きになる。でも千鶴のほうは、どこか常に一線を引いていて……。

当時としては先進的な気質を有する、天真爛漫な食いしん坊である千鶴子は、とても魅力的なお嬢さん。しかし現代の視点を持つ読者からすると、それでも彼女は「宗主国」から来た人間として、「植民地」の人である千鶴の前でけっこう無神経なことを言ってしまっており、ときおりひやひやさせられる。

というか、この千鶴子が本当に無垢な善意にあふれた教養ある人なので、現代に生き、さまざまな考え方に触れているつもりの私だって、無自覚な無知と無神経によって、自分と立場の違う人の心を「善意」で逆撫でしてしまっていることは、いくらでもあるに違いない、と自分を顧みざるをえなくなってくる。

〔つづく〕

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〔つづき〕

そんな水面下での不穏さはありつつ、千鶴子と千鶴の交流は、楽しく微笑ましく続いていく。好奇心旺盛で食べることへの熱意が半端じゃない千鶴子の要求に、細やかな気配りと豊富な知識で、そしてさらには自身の料理の腕前を披露してまで応じてくれる千鶴。台湾グルメメニュー、どれもこれも美味しそう! 台湾各地への鉄道による旅の描写も興味深い。

読者から見た千鶴子が豪快でかわいらしいひとであるのと同じくらい、千鶴子の目に映る千鶴もまた、独特の凛としたたたずまいの、不思議に人を惹きつける女性であることが、ひしひしと伝わってくる。同時にその千鶴から見た千鶴子も、きっと、絶対に、単なる雇い主というだけでは、ないはずなのだ。

台湾で書かれた本作が、あの時代の(そしておそらく現在もないとは言えない)「善良な普通の日本人」のある種の傲慢さを冷徹に指摘して一抹の苦みを包含しつつ、その同じ日本人の登場人物をこんなにも活き活きと描いてくれてもおり、全体としては、初めての土地を訪れて見聞を広め、忘れ得ぬひとを知っていく際の、ときめきに満ちた小説として成り立ってもいることに、感嘆しています。

〔了〕